3億円事件

昭和・出来事・3億円事件

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いやあ、これほどまでに世の中を騒がせた、現金強奪事件は無かったですよねー。被害額2億9430万7500円は、現在の貨幣価値だと10億円を超えるとか。68年12月10日に発生し、75年12月10日に時効が成立。あの頃、何かにつけて、話題が絶えなかった。実行犯、いまどうしてるのだろうか??

1968年(昭和43年)12月10日事件発生
出典:youtube 懐かしの毎日ニュース

1975年(昭和50年)12月10日公訴時効が成立
出典:youtube 映画社中日

事件の概要
“現金輸送車に積まれた東京芝浦電気(現・東芝)従業員のボーナス約3億円(2億9430万7500円)が、白バイまで用意した偽の白バイ隊員に奪われた事件である。被害金額3億円は現金強奪事件としては当時の最高金額であった。その後の現金強奪事件では金額こそ三億円事件よりも強奪金額が多い事件があるが、1968年(昭和43年)当時の3億円は、平成26年(2014年)の貨幣価値に直すと約10億円に当たり、貨幣価値においては現金強奪事件としては日本最高である。
三億円強奪事件ともいわれているが、事件のあった日本において、本件犯行は強盗罪には該当せず、窃盗罪となる。犯人が暴力に訴えず計略だけで強奪に成功していること、盗まれた3億円は日本の保険会社が支払った保険金により補填され事件の翌日には従業員にボーナスが支給されたこと、その保険会社もまた再保険をかけており日本以外の保険会社によるシンジケートに出再していたことから補填され、直接的に国内で金銭的損失を被った者がいなかったという認識から、及び被害金額2億9430万7500円の語呂から、「憎しみのない強盗」とも言われる。一方で、マスコミの報道被害を受け後年自殺した人物や、捜査の過労で殉職した警察官2名が存在する。
警視庁捜査において容疑者リストに載った人数は実に11万人、捜査した警察官延べ17万人、捜査費用は7年間で9億円以上が投じられる空前の大捜査となったが、1975年(昭和50年)12月10日、公訴時効が成立(時効期間7年)。1988年(昭和63年)12月10日、民事時効成立(時効期間20年)。日本犯罪史に名前を残す未解決事件となった。
この事件以来、日本では多額の現金輸送の危険性が考慮されるようになり、給料等の支給について金融機関の口座振込としたり、専門の訓練を積んだ警備員による現金輸送警備が増加した。 ”
◎引用:wikipedia

事件の経緯
“1968年(昭和43年)12月6日、日本信託銀行(後の三菱UFJ信託銀行)国分寺支店長宛に脅迫状が届いた。翌7日午後5時までに指定の場所に300万円を女性行員に持ってこさせないと、支店長宅を爆破するというものであった。当日、警察官約50名が周辺に張り込んだが、犯人は現れなかった。
4日後、12月10日午前9時30分頃、日本信託銀行国分寺支店(現存せず)から東京芝浦電気(現・東芝)府中工場へ、工場従業員のボーナス約3億円、正確には2億9430万7500円の現金が入ったジュラルミンのトランク3個を、輸送中の現金輸送車(セドリック)が、府中刑務所裏の府中市栄町、学園通りと通称される通りに差し掛かった。
そこへ白バイ隊員に変装して擬装白バイに乗った犯人が、オートバイに被せていたと思われるシートを後方に引っ掛けた状態のまま現金輸送車を追いかけ、現金輸送車の前を塞ぐようにして停車した。
現金輸送車の運転手が窓を開け「どうしたのか」と聞くと、「貴方の銀行の巣鴨支店長宅が爆破され、この輸送車にもダイナマイトが仕掛けられているという連絡があったので調べさせてくれ」と言って、輸送車の車体下周りを捜索し始めた。
4日前に、支店長宅を爆破する旨の脅迫状が送り付けられていた事もあり、その場の雰囲気に銀行員たちは呑まれていた。犯人は、輸送車の車体下に潜り込み爆弾を捜すふりをして、隠し持っていた発炎筒に点火。「爆発するぞ! 早く逃げろ!」と銀行員を避難させた直後に輸送車を運転し、白バイをその場に残したまま逃走した。
この時銀行員は「警察官」が爆弾から遠ざけるために輸送車を退避させたと考え、「勇敢な人だ」と思ったという。しかし、路上に残った発炎筒が自然鎮火したのち、オートバイに詳しい輸送車運転手が残された白バイが偽物と気付いたことから、「警察官」は偽者であり現金強奪事件であることが早くも判明した。
9時50分に伊豆・小笠原を除く東京都全域に緊急配備が敷かれた。奇しくも、この日は毎年恒例の歳末特別警戒の初日であった。警視庁は要所で検問を実施したが、当初は自動車の乗換えを想定していなかった事もあり、当日中に犯人を逮捕することが出来無かった。 ”
◎引用:wikipedia