サンダーバード(1966年4月〜)

スティングレイ、そして、このサンダーバード。 精巧な人形劇、といっていいのだろうか? その世界に入ると、 そこにあるのはあまりにリアルな世界。 まるで生きてる人間だった。 第1話 https://dailymotion.com/video/x1kmi9f 映画サンダーバード6号(1968年) [youtube https://www.youtube.com/watch?v=wRMHYgQ_32c] 出典:youtube LoveKirbyAndGTR2ストーリー “世界各地で発生した事故や災害で絶体絶命の危機に瀕した人々を、国際救助隊[IR](International Rescue)と名乗る秘密組織がスーパーメカを駆使して救助する活躍を描く物語である。” 時代設定 “21世紀が舞台。放送当時に製作された設定では西暦2065年が舞台とされており、当時のメディア展開は全てこの設定を元に記述されている。だが、映像上では第31話(英国32話)の中に出てきたカレンダーに2026年と記されており、1970年代から1990年代には、この2026年を基準とする「新設定」が台頭した。現在、公式の設定年代は再び西暦2065年に戻されている。” ◎引用:wikipedia

青春という名のラーメンCM(斉藤由貴)1984年

胸さわぎチャーシュー [youtube https://www.youtube.com/watch?v=AXEVkOzFopE] 出典:youtube斉藤由貴さんが、テレビ初登場となったCM。 84年の明星食品「青春という名のラーメンシリーズ」のCM。 彼女のセリフ、「胸さわぎください」や「誘惑してもいいですか?」って、ドキっとしたなあ^^ 84年に斉藤由貴さんのお母さんが、第1回東宝シンデレラオーディションに応募、最終選考まで残って芸能界に入り、少年マガジンの第3回ミスマガジンでグランプリを獲得という経緯を経て、このテレビCMとなったとか。。誘惑ベジタブル1 https://dailymotion.com/video/x5avrdb 誘惑ベジタブル2 [youtube https://www.youtube.com/watch?v=N8yNP4RqmGY] 出典:youtube

野球盤

野球盤みんなやりましたよね〜 友達ンチで覚えて、 それからお年玉で買って、 ずっとずっと野球盤に明け暮れたことを思い出します^^ 後から、だんだん高度になって、 磁石を使って変化球が使えたり、 消える魔球が出来たり〜のやつもありました^^

サラスポンダ

15パズル

あ!これやった! 数字並べるやつ! いまでも売ってました、200円^ ^

74年式、カワサキ H2(MACH Ⅳ)

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=GSgHgwbK-Oo]◎撮影場所 カワサキワールド500c㎥のH1マッハIIIで築いた大型車への布石をさらに強化すべく、1971年、750c㎥クラスにH2 マッハⅣが投入された。最高出力74馬力/6,800rpmのパワフルなエンジンを搭載し、0−400m加速12秒、最高速度203km/hと、当時の市販車最速を誇った。4サイクルモデルに移行しつつある時代の中にあって、圧倒的なパワーと独特なスタイル、スパルタンなマシン特性で異彩を放つマシンであった。 ◎引用:カワサキワールド表示

エポック社のサッカーゲーム(1965年発売開始)

https://dailymotion.com/video/x5hknhf 出典:dailymotionいやあ、はまったなあ。1965年に発売された、エポック社のサッカーゲーム。この大村崑さんのCMは、コーナーキック、ゴールキックの機能が付いたタイプ、ホッケーゲームも紹介されてますねー。70年代初頭かなあ?私はホッケーゲームも大好きで、札幌オリンピックでアイスホッケー観ながら夢中でやった思い出がありますねー^^

資生堂CM・口紅マジック(1982年)忌野清志郎

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=1sQmGsrxARI] 出典:youtube懐かしいですねー!この資生堂のCMに使用された、『い・け・な・いルージュマジック』は、忌野清志郎さんと、坂本龍一さんのコラボレーションで作られた曲。あの頃、超最先端って感じの曲でしたが、今聴いてもセンスいいですよねー^^

泣いてたまるか(1966年4月〜)

楽しみに見てた番組でした。渥美清さん以外にも青島幸男さんや中村嘉津雄さんも登場してたようですが、記憶に深くあるのは渥美清さんの『泣いてたまるか』ですねー。 今主題歌を聞いてみると、素晴らしい歌詞とメロディ。歌も上手いですね! もう一度、この番組をじっくりと見てみたい! [youtube https://www.youtube.com/watch?v=chf7mSgCUYw] 出典:youtube [youtube https://www.youtube.com/watch?v=fti1RMH-Kbo] 出典:youtube

ウッディー・ウッドペッカー(1961年9月〜)

ウッドペッカー、スピード感に飛んだアニメでしたねー。トムとジェリーもそうですが、すごい面白いわけじゃなんだけど、なんだかどんどん引き込まれていったなあ^^ “過去にワーナーでバッグス・バニー作品などを手掛けていたベン・ハーダウェイのストーリーボードにより、ウッディー・ウッドペッカーは1940年11月25日の『キツツキとパンダ一家』(原題:Knock, Knock)でデビューした。ウッドペッカーの特徴は、「ゥアアアーアー、ゥアアアーアー、ゥアアアアアアアアアアアアア!」という甲高い陽気な笑い声である。初期のウッドペッカーは血走った目と鋭い歯を特徴とし、凶暴性を併せ持つキャラクターだったが、後期の作品になるとその性格やキャラクター設定は温和で親しみやすく可愛らしいイメージに変更されていった。鳴き声もスタッフォード版では「ゥエエエーエー」と聞こえるような微妙な発音である。” ◎引用:wikipedia [youtube https://www.youtube.com/watch?v=X82Dz0HI-ag] 出典: youtube ムービーコン(MovieCon) 様
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National RANGER-505(1975年)

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=0WmIv-e4Too]電気屋さん行くと、こいつがちらちら誘惑してくる。 欲しくて欲しくたまらなかったなあ。。 いつでもどこでも持ち運べてテレビを自分だけで見れる。。ああ欲しかった^^こんなポスターなんかあって、そそられました^^

変わった色鉛筆

Latest reviews

グリコワンタッチカレー

昭和35年発売のグリコワンタッチカレー甘口。 辛口は追って発売。懐かしいパッケージ^^

80年式、ホンダ タクト DX

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=igT0-5DIarw?rel=0] ◎撮影場所 ホンダコレクションホール “第3期スクーターブームの火付け役となった初代タクト。乗る人の立場になり操作性、快適性、経済性などを設計。通学、通勤、商用まで広く愛用された。 ※展示車と諸元はセル付タイプ ” ◎引用:ホンダコレクションホール HONDA TACT DX The first model of the TACT series, the DX was responsible for launching the subsequent boom in scooters. Its design...

兼高かおる世界の旅(1959年12月〜1990年9月)

日曜日の朝、この番組を見ることが習慣でしたー。 30年間も放映された番組でした。 兼高かおるさん、今でもずっと動いてらっしゃるのかなあ? ジャーナリストとして、アクティブでとても美しい方でしたよね〜。 女性として世界で初めて南極点に到達したことでも有名な方でした!“ジャーナリストの兼高かおるがディレクター、プロデューサー、レポーター、ナレーター、そして時にはカメラマンすべてを兼ね、世界各地160か国を取材した映像を放送していた。 放送開始当初のタイトルは『兼高かおる世界飛び歩き』( - とびあるき)だったが、1960年6月19日放送分をもって一旦中断し、同年9月20日放送分から放送を再開し、『兼高かおる世界の旅』に改題した。放送回数は『世界飛び歩き』を含めて、1586回。全行程は721万kmであり、地球を180周した計算になる。 単に映像を放映するだけではなく、ナレーションとして、兼高が芥川隆行に旅行の状況を語る。ただし『世界飛び歩き』時代は、芥川でなく別のTBSアナウンサーが、紹介する国の概要などをナレーションするなどその都度間に入り、それとは別に、兼高は旅先であったことなどの詳細をナレーションするという形で番組は進行していった。ちなみに、兼高のナレーション参加は番組開始当初から一貫して行われていた。「世界の旅」に鞍替えしてからも同様の構成で、特に変更は無かった。しかし、途中から落合と簡単な会話をしつつ番組が進行するという形に変化していった。そして、(再放送等で確認できる限りにおいて)42回目ごろには担当が芥川に変わり、両者の会話も非常に活発になって兼高自身も生き生きと語るようになり、この形式が、番組終了まで続いた。” ◎引用:wikipedia

 

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