8トラックテープ

63年式、ホンダT360

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=uejWgzemnNY] ◎撮影場所 ホンダコレクションホール “DOHC4気筒・4キャブレター・30馬力エンジンを搭載。スポーツトラックと言われた軽自動車で、ホンダ初の量産市販4輪車。” ◎引用:ホンダコレクションホール表示

映画 ブラザー・サン シスター・ムーン(日本公開1973年)

あまりの心の美しさ、清らかなエネルギーに触れ、 神と共に生きることの崇高さに心打たれた中学生の私でした。 ドノヴァンの主題歌も大好きです。 https://youtu.be/6vp8cDBK5jY 出典:youtube isibukankichi 様 “イタリアのアシシに住む商人ピエトロ(L・モンタギュー)とピカ(V・コルテゼ)の間の一人息子として生まれたフランチェスコ(G・フォークナー)は陽気でいたずらだった。彼には4人の遊び仲間がいた。見習い修道士で勉学と宗教に打ち込むシルベストロ(M・フィースト)、セックスへの興味一辺倒のジオコンド(N・ウイラット)、理想に燃える騎士ベルナルド(L・ロウソン)、法学生のパオロ(K・クランハム)だった。18歳のとき、アシシとペルジアの間に戦争が起こり、4人の仲間と、グィード司教(J・シォープ)の祝福をうけて戦場におもむいた。だが、凄惨な戦いに敗れ、熱病に冒されて帰ってくると何週間もベッドに横たわり、生死の間をさまよった。 ある朝、窓辺の小鳥の声に眼を覚ました。無心に手をさしのべながら近づき、屋根の上にでた彼は、小鳥の後について手をはばたかせた。まるで大空へ飛びたつかのようだった。その向こうには、野や山が開けていた。フランチェスコに自分でも気づかないほどの大きな変化が起きていた。ある日、果樹園で休んでいた彼に、美しい娘クレア(J・ボウカー)が近づいてきた。「あなたは気が変という噂よ。小鳥のように歌い、蝶を追い花を見ているから。でも私には、狂っていたのは戦争にいく前だと思えるわ」。 彼は自然の中で生きものの素晴らしさを悟った。次第に彼の眼は自分の周りの人間を見つめだした。働く者、老いた者、病いに苦しむ者……教会の中には富める人々が、外には貧しいながら懸命に祈る人々がいた。あまりにも大きなへだたり、神はこれを許すのだろうか。彼は「NO!」と叫ばずにはいられなかった。家に帰ったフランチェスコは店にある高価な布を窓から投げだした。激怒した父親は彼をひきずり、領事(A・チェリ)の裁きを乞うたが、何もならず、フランチェスコは着ている服を脱ぎ、両親に返した。「もうあなたの息子ではない。人間に大切なのは富ではなく心です。これからはキリストのように乞食になります」。 裸になり城門を出た彼は、太陽に向かって両腕を広げながら野に向かった。雪が降り、真っ白におおわれた野に一人、フランチェスコはサン・ダミアノ教会建設をめざしていた。十字軍の英雄として帰ってきたベルナルドは、その勇気ある姿に強く打たれ、彼に協力を申し出た。また昔の親友たちも次々と加わっていった。髪を切ったクレアも参加し、貧しいが素朴な人々が集まるようになった。 だが司教の陰謀によってサン・ダミアノ教会は焼かれ、仲間の一人が殺されるに及んで、フランチェスコは自ら問うのだった。私のしたことが間違いだったのか? 彼は仲間たちとローマ法廷に請願に行くことにした。やっとのことでローマ法王(A・ギネス)に謁見が許され、キリスト教の腐敗を説いた。法王はいたく心を動かされ、彼に跪いた。貧しい人々から聖人と呼ばれたフランチェスコは故郷に帰った。彼にはやはりここが一番よかった。鳥が歌い、小川がささやいていた。彼は兄なる太陽や姉なる月のように安らかで鳥やけだもののように幸せだった。” ◎引用:wikipedia
video

キューティーハニー(1973年10月〜)

刺激的なアニメでしたね! 如月ハニー。可愛くって、少しエロくて、カッコよくって! 中学になって、忙しい中、見てました! それにしても、『ハレンチ学園』、『あばしり一家』と永井豪さんの作品は、子供には強い刺激だった^^オープニング [youtube https://www.youtube.com/watch?v=SPGQ6m5eBlI] 出典:youtube“ミッションスクールに通う女子高生・如月ハニーは、 如月博士が作ったアンドロイド。 彼女は体内に装着されている空中元素固定装置の力で、 女戦士キューティーハニーに変身し、 空中元素固定装置を奪おうとする世界規模の犯罪組織パンサークローと戦う。” ◉引用:wikipedia

あの頃の彫刻刀・ばれん

小学校の図画工作の時間、この彫刻刀・ばれん、 版画のときに使ったなあ。。 よく血も流した(笑) 他にも、水彩画セット、クレヨン、 ああ、キャラクターの絵柄のついた、画板もあったなああ。。。。^^ ちなみに最近の彫刻刀はこんなカラフル。 持ち手が、ソフトになったり、抗菌だったり。。^^

74年式、スズキ バンバン125(RV125)

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=UHkGT_u5zk0?rel=0] ◎撮影場所 スズキ歴史館 “バンバンシリーズの最大排気量モデル。「ハスラー125」と共通のエンジンで、オフロード車的な性格に加え、5段リターン式ミッションが威力を発揮し、手軽にツーリングも楽しめました。多彩なオプションが設定され、自分だけのバンバンを作ることができました。” ◎引用:スズキ歴史館表示

82年式、ヤマハXV750E

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=R6xVraFB79w?rel=0] ◎撮影場所 ヤマハコミュニケーションプラザ “アメリカンスタイルのクルーザー「XV750Special」をベースに開発されたスポーツツアラー。75度V型2気筒エンジンとモノコック構造のプレスバックボーンフレームはそのままに、足まわりの設定やライディングポジションを最適化。また長距離走行に備え、専用設計のグリス封入式フルカバード・チェーンドライブ機構、エアダンパー付き前後サスペンションなども採用している。” ◎引用:ヤマハコミュニケーションプラザ表示

ハクション大魔王(1969年10月〜)

「アラビン・ドビン・ハゲチャビン」^^ 楽しいアニメでしたねー!ランプや壺から魔法使いが現れるストーリーは、子供の心にとてもフィットします。このハクション大魔王も大人気でしたね^^とにかくギャグ満載でした![youtube https://www.youtube.com/watch?v=n1FIUDXrnOg] 出典:youtube TatsunokoChannelストーリー “小学生のカンちゃんは、ある日、自宅の屋根裏で魔法の壺を見つける。その壺はくしゃみをするとハクション大魔王という魔法使いが飛び出し、呼び出した者の願いをなんでも叶えるというのだった。しかし、魔王はとんでもなくドジで何をやっても失敗ばかり。更にあくびをすると壺から飛び出す、イタズラ好きな魔王の娘アクビまで加わり、町中で珍騒動を巻き起こす。” ◎引用:TatsunokoChannel 表示

61年式、三菱500 A11型

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=vamK37KmW9s] ◎撮影場所 トヨタ博物館“国民車構想に対応して新三菱重工(現三菱自動車工業)が出した回答は三菱500であった。このクラスでは格安ともいうべき39万円で売り出され、発表は1959年秋のモーターショー。価格をのぞけば、ほぼ国民車構想を満たしていた。この価格を実現するための徹底した合理主義は、インテリアの装備やアクセサリーなどを犠牲にはしたが、メカニズムを優先した高い実用性も持っていた。展示車は性能を向上させ、装備を充実させたスーパーデラックスで、1961年8月に追加されたモデル。” ◎引用:トヨタ博物館表示 In answer to the government's vision of the people's car, Shin Mitsubishi Heavy Industries, Ltd. (today’s Mitsubishi Motors) released the Mitsubishi 500. It...

51年式、ツンダップ KS601(Germany/ZUNDAPP)

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=3s2f7Ud-4mA]◎撮影場所 ホンダコレクションホール “1938年に登場したKS600を近代化したモデル。乾燥複板クラッチ、ダブルローラーチェーン式ミッションなど他にはない独自の機構を持つ。サイドカー付きはエレファントの愛称で知られている” ◎引用:ホンダコレクションホール表示
[td_block_social_counter facebook=”envato” twitter=”envato” youtube=”envato”]

Most Popular

映画 ロッキー3(日本公開1982年)

ロッキー3、大好き!、ロッキーシリーズは全て見た。という方も相当いらっしゃるでしょうね!全部見たくなりますね! 私も全部見ました。その中で、ロッキー3は1番見たかなあ。『Eye of the Tiger』主題歌もすごくいいですね!ストーリー “ 宿敵アポロ・クリードとの凄絶なリターンマッチに勝利したロッキー・バルボアは、プロボクシング世界ヘビー級チャンピオンとして快進撃を続け、10度もの防衛に成功。その人気は国民的なものとなり、新聞や雑誌、TVCMに頻繁に出演し、満員の大観衆の中でプロレスの世界ヘビー級王者“サンダー・リップス”とチャリティー異種格闘技戦を行うなど、その存在はまさに時代の寵児となっていた。私生活でも巨万の富を得て、フィラデルフィアの豪邸で妻エイドリアンと息子と三人で何不自由ない生活を送り、ロッキーは今まさに幸せの絶頂にあった。 フィラデルフィア美術館に自身のブロンズ像が設置された日、除幕式の席上でロッキーは現役引退を発表する。会場でそれを聞いた世界ランキング1位の新進気鋭クラバー・ラングは、「ロッキーは弱い選手と戦ってばかりで自分から逃げている、世界1位の俺と戦え」と侮辱的な言葉で挑戦状を叩きつける。激昂して挑戦を受けようとするロッキーに対し、ミッキーは「クラバーの言う通り弱い選手と防衛戦を組んでいた」「クラバーは強い、お前に勝ち目はない」「どうしてもやるなら俺はトレーナーを降りる」と言い放った。 トレーナーを降りたがるミッキーを説得し、現役最後の試合としてクラバー戦に臨むロッキー。しかし試合直前、ミッキーは控室で持病の心臓発作を起こし重体に陥る。そしてロッキーは、ミッキーのアドバイスを実践できないままわずか2ラウンドでクラバーの強打にKOされ、心身ともに打ちのめされて帰ってきたロッキーの目の前でミッキーは息を引き取った。 失意のどん底に沈み、ミッキーと共にトレーニングを積んだジムを訪れたロッキーの前に、かつての宿敵アポロが現れる。「お前が負けたのはハングリー精神を失ったからだ」「俺と戦った時のお前は“虎の眼”をしていた」そう言ってロッキーのトレーナーを買って出たアポロは、ロッキーとエイドリアンらを自らの故郷カリフォルニアに連れて行き、ロッキーの精神とボクシングスタイルの改造に取り組み始める。 敗戦のショックと、ミッキーが残した「弱い相手とマッチメイクしてお前を守ろうとした」の言葉で自信を喪失し、練習に身が入らないロッキーだったが、エイドリアンから「現実に目を向けて!」と激励を受ける事で立ち直り、ハードトレーニングの末に闘争心を取り戻し、新しいファイトスタイルを手に入れる。そしてマディソン・スクエア・ガーデンで挑戦者として臨んだ王者クラバーとのリターンマッチ。アポロは友情の証に、かつて自分が身に着けていた物と同じ「星条旗柄のトランクス」をロッキーに手渡し、リングに送り出す。そしてゴング。かつてとは見違えるような引き締まった身体と軽快なフットワークで翻弄するロッキーを、若さと勢いで追い詰めてゆくクラバー。猛攻に晒されながら執拗に挑発を続けるロッキーはやがて反撃に転じ、壮絶な打ち合いの末ついにクラバーをマットに沈め、チャンピオンへと返り咲いた。 試合後、誰もいないジムの中にロッキーとアポロの姿があった。アポロがロッキーを鍛え直したもう1つの目的は、ロッキーに昔の自分を取り戻させ、その上でかつての敗戦の雪辱を果たすことだった。そして、観客が一人もなくゴングすらないリングの上で、親友同士二人だけのリターンマッチが始まった。 ” ◎引用:wikipedia(主題歌)サバイバー『アイ・オブ・ザ・タイガー』 [youtube https://www.youtube.com/watch?v=btPJPFnesV4]出典:youtube SurvivorVEVO

Latest reviews

82年式、ホンダ VT250F

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=cPQ7A5iV8No]◎撮影場所 ホンダコレクションホール “クラス初の水冷90度V型2気筒エンジン、徹底した軽量設計、16インチホイール、インボードディスクブレーキなど新技術満載のロードスポーツ。” ◎引用:ホンダコレクションホール表示 HONDA VT250F This road sports model was the first in its class to use a liquid-cooled 90° V-twin engine. This model was characterized by...

☆番外編(クラシック)38年(昭和13年)式、ダットサン 17T型 トラック

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=92eMtEcYQnA]◎撮影場所 日産ヘリテージコレクション “日産のピックアップトラックは、1932年、前身のダット自動車製造が発売したダットサン10型の時代から存在したといわれ、グローバルに見ても日産最古の車種として80年以上の歴史を刻んでいます。少しでも多くのお客さまのニーズに応えるため、日産は創業初期から商用車にも力を注いできたのです。ダットサントラック17T型は、15T型(1936年発売)の後を受けて1938年に登場し、17型の乗用車と同様、サイドバルブの722ccエンジンを搭載していました。、戦時色が濃くなる1937年(昭和12年)以降は、ガソリン節約のため、国民車として燃費の良いダットサンの使用が奨められる時代となり、ダットサントラックも商店やデパートへの小口配送に広く活躍しました。” ◎日産ヘリテージコレクション表示

ソニートリニトロンカラーのCM(1973年)

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=6TUqAoVR9Gk]73年のソニートリニトロンカラーのCM。 「僕、タコの赤ちゃん」ってめっちゃ可愛かった^^

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でフォローしよう!