パイロット万年筆のCM(1969年)大橋巨泉・はっぱふみふみ・・

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=WfGBiQsvbHE] 出典:youtubeこのCMで大橋巨泉さんが発した、 「みじかびの きゃぷりきとれば すぎちょびれ すぎかきすらの はっぱふみふみ」。 はっぱふみふみって、流行りましたねー。あの頃よーく耳しました^^

82年式、ホンダ VF750 セイバー

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=tAYzP5x7RB8] ◎撮影場所 ホンダコレクションホール “Honda初の水冷V型4気筒エンジン搭載。エンジンレイアウトを90度V型にすることで一次振動を理論上『ゼロ』としながら、2気筒並みのスリムさを実現。シャフトドライブの採用でスムーズな走り心地と静粛性に優れたスポーツモデル。” ◎引用:ホンダコレクションホール表示

明治のチョコバー、トーストココナッツ

1968年、ザ・タイガースを起用した、 明治のチョコバー、トーストココナッツのCM。好きでしたあ!タイガースの皆さんも若い^^

59年式、キャデラック シリーズ62(U.S.A/GM)

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=yOIWFHPVcRM] ◎撮影場所 東京MEGAWEBヒストリーガレージ“キャデラックとは、19世紀にデトロイトの町を開拓した人物の名前。その栄光の名前を持った車は、1902年の創業当時から高い品質がセールスポイントだった。1959年のモデルは、50年代のアメリカの高級デザインの典型と言われ、当時の豪華思考、未来志向が凝縮されている。パワーウィンドウが音もなく開閉できるなど、クオリティの高さも賞賛された。” ◎引用:東京MEGAWEBヒストリーガレージ表示

☆番外編(クラシック)25年(大正14年)式.シトロエン 5CV タイプC3(France/Citroen)

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=5W41CHc7f6w] ◎撮影場所 トヨタ博物館 “「フランスのフォードでありたい」アンドレ・シトロエンの言葉である。彼は創業当時から量産方式を採用、大衆車メーカーを目指して生産を開始した。1922年、大型車の機能と構造をそのままスケールダウンしたヒット作であるタイプC、通称5CVを送り出す。個性的なボートテールからわが国ではセミと呼ばれ、翌’23年にはホイールベースを延長して3人乗りのC3に発展。さらに実用的なものとなったのである。この5CVがフランス大衆車の母体であることはいうまでもない。” ◎引用:トヨタ自動車博物館表示 Citroen 5CV Type C3 Setting his sights on becoming the "Henry Ford of France," André Citroën adopted the mass-production approach from the outset to...

☆番外編(クラシック)30年(昭和5年)式.ベントレー 41/2リットル (U.K./Bentley)

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=wxqavv7heMo?rel=0] ◎撮影場所 トヨタ博物館 “ベントレーはビンテージ期(1920年代から30年代初め)のイギリス・スポーツカーのなかでもっとも重要な意味を持つ。1927年からル・マン24時間レース4連勝、1924年の勝利を含めれば、この時期なんと5回もル・マン24時間レースを制覇。なかでも1928年のル・マン24時間レースで優勝を飾った4 1/2リットルツアラーは、ベントレーでもっともポピュラーなモデルとして力強いジョンブル魂を象徴している。ビンテージ・ベントレーの特徴は、ハイスピードで長距離を走るために耐久性と信頼性を重視したことから、この時代の他の純レーサーと違って大型ボディと大排気量エンジンを備えていたことであろう。” ◎引用:トヨタ博物館表示

映画 ジョーイ(日本公開1977年)

この映画は劇場で見ました。実話でしたね。確かに感動でした。特にジョーイのお兄さんジョンが、ハインズマン・トロフィーを手にし、スピーチするシーンからずっと涙が溢れてました。 [youtube https://www.youtube.com/watch?v=Voopj4pqFDA] 出典:youtube“ジョーイは3歳のときから白血病と闘っていた。この病気で初めて化学療法を施された子どもの一人だった。ジョンはペンシルベニア州立大学でハイズマン賞を目指し、10台はじめのジョーイとお互いや周りの家族を励まし、困難に立ち向かう。ジョンはジョーイの病気が悪化する中でハイズマン賞に輝いた。ジョンは受賞のスピーチで、賞を目指した最大の動機としてジョーイの名前を挙げ、白血病の困難に耐えられるように奮い立たせるため、ジョーイにトロフィーが必要だと聴衆に話すにつれて泣き崩れた。キャパレッティ家の皆がその場に居合わせ、ジョーイはジョンのそばに駆け寄った。作品はジョーイが1976年4月8日、ジョンが付き添う中、白血病のために世を去ったことを描いて幕を閉じる。” ◎引用:wikipedia

映画 JAWS(日本公開1975年)

いやあ、恐怖でした。 残忍さと恐怖で震えた中3の時の映画。 でもこのサメのサイズは映画だからと思ってましたが、 後に本当にこのサイズのホオジロザメが存在することを知り、 その時また震えたこと思い出します^^ [youtube https://www.youtube.com/watch?v=FpxOLhuNXfM] 出典:youtube  Movieclips 様 (あらすじ) “アメリカ東海岸に位置する海辺の田舎町アミティの浜辺に、若い女の遺体が打ち上げられた。町の警察署長ブロディは死因を「鮫による襲撃」と断定、ビーチを遊泳禁止にしようとするが、夏の観光で成り立つ町の有力者はこれを拒否する。対応の遅れから、少年が第2の犠牲者となる。 少年の両親が鮫に賞金をかけたことで事態は公となり、アメリカ中から賞金目当ての人々が押し寄せたアミティは大騒動となった。その対応に追われる一方で、ブロディは鮫の専門家である海洋学者フーパーを呼び寄せ、協力を求める。フーパーは最初の遺体を検視し、非常に大型の鮫による仕業と見抜く。 そのころ、イタチザメが捕らえられた。町中が事件は解決したと喜ぶ中、フーパーはイタチザメの口のサイズが遺体に残る噛み跡より小さいことから、別の鮫である可能性を指摘する。念のために鮫の消化器官の内容物の確認を提案するが、市長は反対した。納得できないブロディとフーパーはその夜、秘密裏に鮫の腹を裂いたが、人が食べられた痕跡は確認できなかった。フーパーの所有する調査船で鮫の探索に出た2人は、アミティの漁師の船が漂流しているのを発見する。調査のため海に潜ったフーパーは、船底に刺さっていた大きなホオジロザメの歯を見つけるが、漂う漁師の遺体に驚いた拍子に紛失する。 翌朝、2人は市長に「犯人は巨大なホオジロザメであり、すぐに海を閉鎖する必要がある」と申し出るが、利益を優先したい市長は、証拠となる鮫の歯がないことを理由にこれを拒否し、海開きを実施する。その結果、観光客を鮫が襲うという最悪の事態が発生する。 そこでブロディは、地元の漁師クイントを雇い、鮫退治を提案する。ブロディ、フーパー、クイントの3人は、鮫退治のため大海原へ乗り出す。しかし、現れたホオジロザメのサイズは、彼らの予想をはるかに上回るものであった。ブロディ達と巨大ザメとの激闘が始まる。” ◎引用:wikipedia

☆番外編(クラシック)10年(明治43年)式.ロールスロイス 40/50HP シルバーゴースト(U.K./Rolls-Royce)

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=D1EpAGNV8eM] ◎撮影場所 トヨタ博物館“F・H・ロイスとC・S・ロールスは1904年、完璧な自動車をつくるためRR社を創立。徹底した製品管理のもとに高品質な高級車をつくりはじめ、1906年、最大の傑作といわれる40/50馬力の6気筒車を発表した。この13番目のシャシーに全身銀色のツアラーボディを載せて、RAC(英国王立自動車クラブ)の監督下、グラスゴー~ロンドン間を昼夜ノンストップで、延べ15,000マイルをほとんどトラブルなしに走破。幽霊のように静かでスムーズな走行性と塗色から"シルバーゴースト"と呼ばれるようになった。こうした信頼性とともにシルバーゴーストの軽量かつ耐久性の高いシャシーは高く評価され、第1次世界大戦では装甲車などの重いボディを架装して熱砂の戦場を駆けめぐったことでも、その性能の高さは実証されている。もちろんシルバーゴーストは高価であることは間違いない。しかし、高い品質を持った量産車として、フォード・モデルTと行き方は違うが、高級車の源流になったのである。” ◎引用:トヨタ博物館表示 Rolls-Royce 40/50HP Silver Ghost The origin of Rolls-Royce goes back to 1904, when F.H. Royce and C.S. Rolls began collaborating to produce as perfect...
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☆番外編(クラシック)1894年(明治27年)式.ベンツ ヴェロ(Germany/Benz)

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=n86I7gN1u94]◎撮影場所 トヨタ博物館“3輪車を一歩進めて4輪車の設計を開始したベンツは、まずキングピン式の前輪操向システムで、1893年にドイツ帝国の特許を取得。これを採用してつくられたベンツ最初の4輪車が“ヴィクトリア”であり、ひと回り小さい“ヴェロ”は1894年に発売された。フライホイールが垂直になるようにエンジンがセットされ、プーリーとベルトによる2段変速機からデフを介してチェーンで後輪を駆動、時速21kmで走行できた。” ◎引用:トヨタ博物館表示 Having developed the 3-wheeler, Karl Benz began designing a 4-wheeled car. He obtained a German Empire patent for the kingpin front-wheel-steering system in...

サラスポンダ

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もうひとつの土曜日(唄:浜田省吾)1986年

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=ZXhDTCKH3qM] 出典:youtube shogohamadaSMEJうーん、これはなんとも言い難い心に響きわたる名曲ですね! 浜田省吾さん、こんな曲かけるなんてすごいな! 唄いながら、情景がありのまま浮かび上がり、そして自分の思い出と重ね合わせて、 思わず目頭が熱くなる方も多いでしょうね!◎作詞・◎作曲:浜田省吾 昨夜 眠れずに泣いていたんだろう? 彼からの電話 待ち続けて テーブルの向こうで 君は笑うけど 瞳ふちどる悲しみの影 息がつまる程 人波に押されて 夕暮れ 電車でアパートへ帰る ただ週末の僅かな彼との時を つなぎ合わせて 君は生きてる もう 彼のことは忘れてしまえよ まだ君は若く その頬の涙 乾かせる誰かが この街のどこかで 君のことを待ち続けてる Woo振り向いて Ha-Woo探して 探して 君を想う時 喜びと悲しみ ふたつの想いに 揺れ動いている 君を裁こうとするその心が 時におれを傷つけてしまう 今夜 町に出よう 友達に借りた オンボロ車で海まで走ろう この週末の夜は おれにくれないか? たとえ最初で最後の夜でも Woo真すぐに Ha-Woo見つめて 見つめて 子供の頃 君が夢見てたもの 叶えることなど出来ないかもしれない ただ いつも傍にいて 手をかしてあげよう 受け取って欲しい この指輪を 受け取って欲しい...

新八犬伝(1973年4月〜)

「仁」「義」「礼」「智」「忠」「信」「孝」「悌」ですね!73年春から約2年もの間放映されてました。私の場合は中学生、平日18:30〜でしたから、見れなかった回が圧倒的。世に家庭用ビデオがあったら録画してたのにね^^ 今見れるものなら全464話みてみたい^^ でも現存する映像はわずかだそうです。坂本九さんの語りも好きでした!!人形:辻村ジュサブロー この表記も懐かしい^^ https://dailymotion.com/video/x5hxm1n 出典:dailymotionこちらの映像は、後のNHK番組の1シーン。録音テープに合わせて、辻村ジュサブローさんに再現してもらう場面。“15分番組(週5日放送)でありながら、平均視聴率20%を記録した番組となった。アクション要素を加味した大胆な脚色や、辻村ジュサブローによる人形美術が人気を博した。 「仁」「義」「礼」「智」「忠」「信」「孝」「悌」という文字が浮き出る8つの珠をそれぞれ持つ、伏姫ゆかりの八犬士が、悪代官・悪党・怨霊らによってもたらされる困難・妨害を乗り越えて活躍する。また、八犬士同士の出会いや、お互いの素性を知る前の行き違いなども見所で、特に犬塚信乃と犬飼現八が対決する「芳流閣の決闘」は劇場版の見せ場になっている。 物語だけでなく、黒子姿で語りを担当した九ちゃんも人気があった。黒子の九ちゃんは、坂本九本人が顔出しした場面もあるが、スケジュール多忙で、別人が扮していた回もある。九ちゃんの名調子による口上、「因果は巡る糸車、巡り巡って風車」や、番組終了時の「本日、これまで!」は好評で、視聴者の間で流行した。口上の人気にあやかり、挿入歌『仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌』も作られた。” ◎引用:wikipedia なんとDVDが購入できるようです!凄い! NHK人形劇クロニクルシリーズVol.4 辻村ジュサブローの世界~新八犬伝~

53年式、トヨペット スーパー RHN型

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=IKpNQvwJ0FM]◎撮影場所 トヨタ博物館“1953年、それまで1000ccであった小型車規格が1500ccまでに引き上げられたのに合わせて発表されたのがトヨペットスーパーである。1000ccのS型エンジンから20HPもパワーアップが図られ、性能は格段に向上し、おもにタクシーとして活用された。ボディスタイルは新三菱重工でつくられたこのRHN型のほかに関東自動車工業製のRHK型も存在。トヨタの主力モデルとなったのである。” ◎引用:トヨタ博物館表示

 

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