ジェームス・ディーン
とにかくカッコよかった!
リアルタイムでは無いけれど、
ジェームスディーンの映画や、ジェームスディーンについて触れた印刷物、
そしてテレビでの特集など、、あたかも生きてるスターのようだった。
これから絶頂を迎えようとするときに、24歳という若さでポルシェで事故死した、
そのストーリーそのものに、青春の象徴として憧れていたのかもしれない。[youtube https://www.youtube.com/watch?v=cMn3SK39Hb8]
出典:youtube “『底抜け艦隊』等の映画の端役をいくつかこなした後、1955年に『エデンの東』のキャル・トラスク役で初めて主役を演じて、認められた。彼はこの役でアカデミー賞の主演男優賞にノミネートされた。この後、続けざまにその年の『理由なき反抗』で主役を、『ジャイアンツ』で準主役を演じ、またもやアカデミー賞にノミネートされることになる。
『ジャイアンツ』の撮影終了1週間後の9月30日、ジェームズはサリナスで行われるレースに向かうために同乗者の自動車整備士ラルフ・ウッタリックと共に、愛車であるシルバーのポルシェ・550/1500RSでカリフォルニア州の州道を走行中、午後5時59分にショラム近郊にある州道46号線と41号線の東側の分岐点で、横からはみ出してきた学生の運転する車と衝突した。ラルフは車外に投げ出されて骨折、学生も軽傷で済んだが、ジェームズは複雑骨折、内臓損傷などでほぼ即死状態であった。事故現場に建てられたモニュメントには「JAMES DEAN 1931Feb8 - 1955Sep30pm5:59 ∞」の字が刻まれている。”
◎引用:wikipedia
58年式、NSU クイックリー 50(Germany/NSU)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=jK6Kd6zhLS4]◎撮影場所 ホンダコレクションホール“最盛期に月産2万台以上生産した大衆向けモぺッド。流れるような形状のフレームを'53年に採用。2サイクルエンジンは手動クラッチ、2段グリップ変速操作。”
◎引用:ホンダコレクションホール表示
NSU QUICKLY 50
At the height of its popularity, monthly production of this moped-for-the-masses rose to more than 20,000 units.The pressed frame with its...
映画 ベンハー(日本公開1960年)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=4hrbRDAOF4k]
出典:youtube初めて見た子供の頃、壮大なスケールと、あまりにも残酷なシーン、辛いシーン、人はこういう歴史を経てきたのかあと、痛みや、感動や、チャールトンヘストンってすげーとか、なんやら入り混じった複雑な思いを抱きながら、ど迫力のスクリーンを見ていたあのときの自分が思い出されます^^
アカデミー賞の史上最多受賞作品ストーリー
“紀元26年のエルサレム。イエス・キリストが厩で生誕して20数年後、イスラエルの王族の血を引く貴族ジュダ=ベン・ハー(チャールトン・ヘストン)は幼なじみのメッサラ(スティーヴン・ボイド)がローマ帝国司令官として任地エルサレムに戻ってきて、二人は再会を喜びあうが、やがて支配者側のメッサラと被支配者側のベン・ハーとで意見が分かれ、二人の間には亀裂が走る。
その頃新しい総督を迎えてローマ軍が行進しているさなかに、ベン・ハーの屋敷の瓦が崩落して新総督が重傷を負い、司令官メッサラはベン・ハーに総督暗殺を謀ったとして逮捕し、奴隷の身分に落として漕手刑(ガレー船の漕ぎ手とする極めて重い刑罰)を言い渡す。ベン・ハ―の母ミリアム (マーサ・スコット)と妹ティルザ (キャシー・オドネル) は牢に入れられて家族は離散する。そして囚人としてガレー船に送られる道中、ベン・ハーは乾きに苦しめられ倒れるが、その時一人の男に水を飲ませてもらい、不思議なことに力を得て窮地を脱する。
ガレー船でベン・ハーは漕手として3年間を過ごすが、メッサラへの恨みが彼の全身を貫いていた。そしてたまたまマケドニア艦隊との海戦で沈没する旗艦から総司令官アリウス(ジャック・ホーキンス)を救出するという殊勲を上げ、漕手刑を赦免されてアリウスの養子となり、ローマの市民権を得て二輪戦車競走の騎手として注目されるまでになる。しかしエルサレムの母と妹の安否が分からず、ベン・ハーはアリウスのもとを去ってエルサレムに向かう。この時に救世主が現れたとして探し歩く老人を知り、また途中で族長イルデリム(ヒュー・グリフィス)と知り合い、彼の助力を得ながらエルサレムに実母と妹を探しに戻った。
しかしもとの邸宅に戻ると家臣だったサイモニデス(サム・ジャッフェ)とその娘エスター(ハイヤ・ハラリート)がいたが、父サイモニデスはベン・ハーの逮捕の折りに投獄され拷問を受けて半身不随の身体にされていた。そしてエスターから母も妹も亡くなったと聞かされて復讐の鬼となった。だが実はエスターは母と妹が生きていることを知っていた。ベン・ハーがローマで貴族となった知らせを聞いたエルサレムの役人が牢の奥深くに閉じ込められた母と妹を突然出獄させたのだが、この時二人ともライ病に罹り、病人だけの隔離場所である洞穴に行くとエスターに伝えて息子には死んだと言うように嘆願されていた。エスターはその後も隔離場所に食事を運び二人を援助していた。この時エスターは心の拠り所を噂で聴いたイエスに委ねていた。
そうとは知らないベン・ハーは、仇敵メッサラと二輪戦車競走で相まみえ、族長イルデリムが集めて入念に調教した優秀な4頭の馬を操って円形競争場で激しい争いをメッサラと繰り広げた。そしてメッサラとの死闘を制したベン・ハーだったが、その直後に瀕死で虫の息のメッサラから母と妹がライ病に侵されながらも生きていることを知る。そして密かにエスターの後を追って洞穴で生きながらえる母と妹に再会した。ベン・ハーは家族や親友を不幸にしたローマを憎み、ローマの市民権を放棄する。悩むベン・ハーにエスターは救世主と言われるようになったイエスの話をするがいっこうに聞く耳を持たない。やがてイエスが裁判にかけられて磔にされるという話を聞いて、すがる思いで母と妹を連れて街に繰り出すが十字架を背負ったイエスを見て、あの時に水を恵み自分を救ってくれた人であったことにベン・ハーは愕然とする。母と妹を帰らせてベン・ハーは後を追いかけ、そして倒れたイエスに今度は自ら水を飲ませたが役人に蹴られ、やがてゴルゴダの丘でイエスは磔の刑に処せられた。その直後に俄かに天から雷雨と大風が舞い、イエスの流した血が大地を流れていった。
絶望したベン・ハーは重い心で邸宅に戻った。しかしエスターは微笑みながら彼を迎えた。ふと上を見上げると母と妹が元の姿に戻っていた。あの雷雨の中で洞穴に退避した母と妹は急な激痛の後に病が癒えていたのだった。信じられないベン・ハーは母と妹を抱きしめながら喜びを分かち合った。”
◎引用:wikipedia
SONY カセットデンスケ・TC-D5(1978)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=DUUwBaK5ZLw?rel=0]◎撮影場所 ソニービル “当時拡大中であった生録音市場で、愛好家から強く要望されていた小型軽量高性能を実現させたポータブルカセットレコーダー「カセットデンスケ」”
◎引用:ソニービル表示amzn_assoc_ad_type ="responsive_search_widget"; amzn_assoc_tracking_id ="hime112909-22"; amzn_assoc_marketplace ="amazon"; amzn_assoc_region ="JP"; amzn_assoc_placement =""; amzn_assoc_search_type = "search_widget";amzn_assoc_width ="auto"; amzn_assoc_height ="auto"; amzn_assoc_default_search_category =""; amzn_assoc_default_search_key ="家電";amzn_assoc_theme ="light"; amzn_assoc_bg_color ="FFFFFF";...
55年式、フォード サンダーバード(U.S.A/Ford)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=FaQZgcWGwqI]
◎撮影場所 トヨタ博物館 “第2次大戦後のアメリカでブームなったヨーロッパ製スポーツカーに対抗して、GMは1953年に「シボレー・コルベット」を発売したが、フォードはサンダーバードを開発。
サンダーバードはスポーツカーではなく、パーソナルカーという位置付けで、同じ二人乗りながらV8エンジンも選べるスポーティで高級なパーソナルカーとして販売し、コルベットに比べて乗用車的な快適さを備えており人気を博した。屋根は着脱式のハードトップで、オープンカーとしてもクーペとしても楽しめた。”
◎引用:トヨタ博物館表示
Ford Thunderbird
Seeing the enormous popularity enjoyed by European sports cars in postwar U.S., GM released the Chevrolet Corvette in 1953, but Ford...
72年式、スバル レオーネ エステートバン4WD
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=QmzH5h7Lb4U]◎撮影場所 トヨタ博物館“1960-70年当時、4WD(4輪駆動車)と言えば、頑丈さが取り柄のオフロードタイプばかりでした。1971年東北電力の要請に応じて数台が注文生産された「1300Gバン4輪駆動車」から得た経験を基に、乗用車の快適性と4WDの踏破力を合わせ持つ、乗用車タイプの4WDにも市場ニーズがあると考えたスバルは、1972年、世界に先駆けて、レオーネエステートバンをベースに4WDモデルを発売しました。水平対向エンジンは4WDとのマッチングが良く、シンプルでバランスの取れた構造で、その利点を生かし、その後スバル4WDは高速性能を重視したレオーネ4WDターボ、ドライビングの楽しさ、安全性を追求したレガシィへと発展していきました。”
◎引用:トヨタ博物館表示
Subaru Leone Estatevan 4WD
During the 1960s and 1970s, the 4WD market was dominated by rugged off-road vehicle. What gave Subaru a pause was...
おもちゃのピアノ
わあ、懐かしい^^
我が家には姉がいたからか、物心着いたら、赤いおもちゃのピアノがあって、鍵盤を叩いて遊んでた、半世紀以上前のあの情景が浮かんできました。どうしてあるんだろ?とか、なんの疑問も無く、ただ目の前にあるおもちゃのピアノを叩いて、いつのまにかどこかに消えてしまっていたあの赤いおもちゃのピアノ。いまどこにあるんだろ?誰かの家でひっそりと眠っていてくれてるといいなあ。。。
資生堂ナツコビューティーパクトのCM (1979年)
https://dailymotion.com/video/x4w1m8k
出典:dailymotion
世良公則とツイストの「燃えろいい女」、そして、「小野みゆき」さん。
これは当時とてつもないインパクトを与えたCMでしたね!
65年式、ホンダ L700
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=IEOjvIMOv_0?rel=0]
◎撮影場所 ホンダコレクションホール “DOHC4気筒2キャブレター 52馬力のエンジンをフロントに搭載、後輪駆動を採用。高速時代に対応させたホンダ初の小型商用車規格のライトバン。 ”
◎引用:ホンダコレクションホール表示
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62年式、三菱 コルト600 コンバーチブル
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=EX_GwLVXzBc?rel=0]
◎撮影場所 三菱オートギャラリー1962年の第9回全日本自動車ショーに、
参考出品された『コルト600コンバーチブル』。販売はされなかった。
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57年式、FIAT アバルト 750GT ザガート(Italy/FIAT)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=v3dJbSmNF6I?rel=0]
◎撮影場所 FIATお台場“アバルトの開祖カルロ・アバルトは、イタリアの国民車とも言うべき小型大衆車、フィアット600をベースに、数多くのレーシングベルリネッタを製作しました。中でもこのザガート製750GTは、アバルト製ベルリネッタの中でも最初に成功を収めたモデルとして、現在においても「ダブルバブル」のニックネームとともに愛されています。
1955年に登場したフィアット600のために、まずアバルトは「750デリヴァツィオーネ」エンジンキットを開発。同じ年の年末に発売しました。このキットでは、スタンダード600に備えられた簡素な鋳鉄製クランクシャフトに代えて、輝くほどに美しい鍛造製シャフトを採用。そしてその新しいシャフトによって、ストロークは排気量を633ccから747ccに拡大されます。
またヘッド周りにも念入りなチューンを受けた上に、ダウンドラフトのウェーバー・キャブレターは大径化。「ABARTH」ロゴが浮き出されたアルミ製専用インテークマニフォールドに装着されました。これらのチューニングにより、4気筒OHVエンジン標準型600の21.5psと比べるとほぼ2倍に相当する41.5~47psまで増強されたのです。
そしてアバルトは、フィアット600用フロアパンを使用したプラットフォームと、アバルト製750デリヴァツィオーネ・ユニットを、当時のイタリアには数多く存在したカロッツェリアに供給することにします。そしてこのオファーに応えるかたちで、’56年のジュネーヴ・ショーに出品されたのが、のちに「フィアット・アバルト750GT」の主力となったカロッツェリア・ザガート製ベルリネッタの最初期モデルでした。
ちなみにこのショーでは、鬼才フランコ・スカリオーネがデザインしたベルトーネ製の空力的なベルリネッタ。カロッツェリア・ヴィオッティ製の瀟洒なクーペ。カロッツェリア・ギアがフィアット600ボディの750デリヴァツィオーネを豪華にドレスアップしたモデルも同時に展示されましたが、ザガート製ベルリネッタは4台の中で最も大きな反響を得たことから、シリーズ生産化が決定するに至ったと言われています。
こうして少量生産がスタートした750GTザガートですが、空力を追求するあまり徹底して低いデザインとされたルーフは、ヘッドルームが不足してしまうとの評価を受けたことから、この年秋のトリノ・ショー以後に製作されたシリーズ2では、ルーフの左右に大きな「こぶ」を追加。のちにザガートのアイデンティティとなる「ダブルバブル」が誕生することになりました。
そして、それからわずか数か月後の1957年初頭には、ノーズをいっそう洗練したデザインとし、リアエンドもスタイリッシュなテールフィン状にソフィスティケートした完成形、いわゆる「シリーズ3」へと進化。1957年のミッレ・ミリアで小排気量GTクラス優勝を獲得するなどの大活躍を見せることになったのです。”
◎引用:WAKUI MUSEUM OFFICIAL WEB
すばらしい世界旅行(1966年10月〜)
大好きな番組でした!
1966年スタートから、なんと24年間1010回放映とか、、
番組の内容、そして音楽、忘れてならないのは、久米明さんのナレーション。
なんとも言えない魅力でしたね!
最終回のエンディング
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=n9awgoCiCcU]
出典:youtubeエンディング→この木なんの木
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=GHCk85nT8j4]
出典:youtube
☆番外編(クラシック)27年(昭和2年)式.ピアスアロー シリーズ36(U.S.A./Pierce-Arrow)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=Gamhimb4swU?rel=0]
◎撮影場所 トヨタ博物館 “ピアスアローは、パッカード、ピアレスと合わせて“スリーP”といわれたアメリ力の超高級車である。その品質や格式の高さは、ロールス・ロイスを上回る厳重かつ贅沢な品質管理のうえに成り立ち、とくに信頼性においては他車を寄せつけないものがあった。さらに、ヘッドライトとフェンダーを一体化させた独特なスタイルをはじめ、パワーブレーキ、油圧タペット、アルミを使用した軽量ボディなど技術的にもすぐれ、すばらしい乗り心地を示したのである。 ”
◎引用:トヨタ博物館表示
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