マンスリーアーカイブ 1月 2017

61年式、日野 ハスラー EF11型

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=LmMHCQ4uhc0?rel=0] ◎撮影場所 日野オートプラザ “国内で三輪車が全盛だった1958年から、日野自動車は三井精機工業株式会社製造の小型三輪トラックや軽三輪トラックを販売していた。この展示車両は軽三輪トラック「バンビー」に日野のマークをつけ「ハスラー」と改称し販売したものであり、東南アジアで主にタクシー用として活躍した。” ◎日野オートプラザ表示

河合奈保子

河合奈保子さん、可愛かったなあ^^ この可愛さ、そして醸し出す陽性の、いや太陽のようなぱーっとしたエネルギー。そして水着姿もそそられましたねー。 “所属事務所は芸映プロダクション、レコード会社は日本コロムビア(2002年(平成14年)10月から2010年(平成22年)9月までの社名はコロムビアミュージックエンタテインメント)に所属していた。1980年代の歌手・アイドルの一人である。本名は「かわい なほこ」だが、芸名では「かわい なおこ」と読ませている。 シングル売上記録は「エスカレーション」「スマイル・フォー・ミー」「夏のヒロイン」「けんかをやめて」(オリコンチャート)の順。 歌以外にもピアノ・ギター・マンドリン・シンセサイザーを演奏し自作曲(作詞作曲)も発表した。雑誌のグラビアやアイドル水泳大会に登場していた。 1996年2月1日、記者会見にてヘアメイクアップアーティストの男性との婚約を発表。同年2月6日に婚姻届を提出。翌1997年の第一子出産を契機に芸能活動を停止する。夫との間に2児あり。このうち第二子であるkahoは2013年11月27日にソニー・ミュージックから「Every Hero/Strong Alone」でデビューした。” ◎引用:wikipediaヤングボーイ(1980年) [youtube https://www.youtube.com/watch?v=f8UDHzm8vdg?list=RDf8UDHzm8vdg] 出典:youtubeスマイル・フォー・ミー(1981年) [youtube https://www.youtube.com/watch?v=5E-P5EUZ4JE] 出典:youtubeムーンライト・キッス(1981年) [youtube https://www.youtube.com/watch?v=Wm4ut2ZISys] 出典:youtubeラブレター(1981年) [youtube https://www.youtube.com/watch?v=oAlxftQqJRQ] 出典:youtube

59年式、三菱 レオ

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=9lllnZEjnFs] ◎撮影場所 三菱オートギャラリー “1959年に発売された、三菱初の軽自動車で三輪車。トラック・バンともに、積載量は300kgで、主に都市での小口配達用として大流行。1962年に生産が打ち切られるまでに統計約28,000台を生産・販売した。2灯式ヘッドランプ、オールスチールキャビンなどの特長があった。日本に5台現存していることが確認されている。 ” ◎引用:三菱オートギャラリー

キンカンのうた

https://dailymotion.com/video/x57kvs9 いやー、懐かしいですね^^ キンカン素人民謡名人戦のテーマ曲。耳に、いや脳みそに焼き付いて離れません^^ 雪村いづみさんと、ダークダックスが唄ったバージョンもあるとか、聞いてみたい^^作曲 服部 正/作詞 藤浦 洸 1 カンカン キンカン キンカンコン カンカン 鍛冶屋のおじいさん 肩こり 腰の痛みには キンカン塗って また塗って 元気に陽気に キンカンコン ☆ミカン キンカン サケノカン ヨメゴモタセニャ ハタラカン 2 カンカン キンカン キンカンコン カンカン 家庭の常備薬 毒虫 水虫 蚊や ぶよに キンカン塗って また塗って 明るい暮らしを キンカンコン ☆(繰り返し) 3 カンカン キンカン キンカンコン カンカン いたずらざかりには すり傷 打ち傷 かすり傷 キンカン塗って また塗って 楽しく愉快に キンカンコン ☆(繰り返し) 4 カンカン キンカン キンカンコン キンキン 北風 寒い日に しもやけ ふっくら お手々には キンカン塗って また塗って すっきりさっぱり キンカンコン ☆(繰り返し) 5 カンカン キンカン キンカンコン カンカン ホームランのヘビーバッター 躰の調子を保つには キンカン塗って また塗って 身軽にファイトに キンカンコン ☆(繰り返し)

映画 ロッキー3(日本公開1982年)

ロッキー3、大好き!、ロッキーシリーズは全て見た。という方も相当いらっしゃるでしょうね!全部見たくなりますね! 私も全部見ました。その中で、ロッキー3は1番見たかなあ。『Eye of the Tiger』主題歌もすごくいいですね!ストーリー “ 宿敵アポロ・クリードとの凄絶なリターンマッチに勝利したロッキー・バルボアは、プロボクシング世界ヘビー級チャンピオンとして快進撃を続け、10度もの防衛に成功。その人気は国民的なものとなり、新聞や雑誌、TVCMに頻繁に出演し、満員の大観衆の中でプロレスの世界ヘビー級王者“サンダー・リップス”とチャリティー異種格闘技戦を行うなど、その存在はまさに時代の寵児となっていた。私生活でも巨万の富を得て、フィラデルフィアの豪邸で妻エイドリアンと息子と三人で何不自由ない生活を送り、ロッキーは今まさに幸せの絶頂にあった。 フィラデルフィア美術館に自身のブロンズ像が設置された日、除幕式の席上でロッキーは現役引退を発表する。会場でそれを聞いた世界ランキング1位の新進気鋭クラバー・ラングは、「ロッキーは弱い選手と戦ってばかりで自分から逃げている、世界1位の俺と戦え」と侮辱的な言葉で挑戦状を叩きつける。激昂して挑戦を受けようとするロッキーに対し、ミッキーは「クラバーの言う通り弱い選手と防衛戦を組んでいた」「クラバーは強い、お前に勝ち目はない」「どうしてもやるなら俺はトレーナーを降りる」と言い放った。 トレーナーを降りたがるミッキーを説得し、現役最後の試合としてクラバー戦に臨むロッキー。しかし試合直前、ミッキーは控室で持病の心臓発作を起こし重体に陥る。そしてロッキーは、ミッキーのアドバイスを実践できないままわずか2ラウンドでクラバーの強打にKOされ、心身ともに打ちのめされて帰ってきたロッキーの目の前でミッキーは息を引き取った。 失意のどん底に沈み、ミッキーと共にトレーニングを積んだジムを訪れたロッキーの前に、かつての宿敵アポロが現れる。「お前が負けたのはハングリー精神を失ったからだ」「俺と戦った時のお前は“虎の眼”をしていた」そう言ってロッキーのトレーナーを買って出たアポロは、ロッキーとエイドリアンらを自らの故郷カリフォルニアに連れて行き、ロッキーの精神とボクシングスタイルの改造に取り組み始める。 敗戦のショックと、ミッキーが残した「弱い相手とマッチメイクしてお前を守ろうとした」の言葉で自信を喪失し、練習に身が入らないロッキーだったが、エイドリアンから「現実に目を向けて!」と激励を受ける事で立ち直り、ハードトレーニングの末に闘争心を取り戻し、新しいファイトスタイルを手に入れる。そしてマディソン・スクエア・ガーデンで挑戦者として臨んだ王者クラバーとのリターンマッチ。アポロは友情の証に、かつて自分が身に着けていた物と同じ「星条旗柄のトランクス」をロッキーに手渡し、リングに送り出す。そしてゴング。かつてとは見違えるような引き締まった身体と軽快なフットワークで翻弄するロッキーを、若さと勢いで追い詰めてゆくクラバー。猛攻に晒されながら執拗に挑発を続けるロッキーはやがて反撃に転じ、壮絶な打ち合いの末ついにクラバーをマットに沈め、チャンピオンへと返り咲いた。 試合後、誰もいないジムの中にロッキーとアポロの姿があった。アポロがロッキーを鍛え直したもう1つの目的は、ロッキーに昔の自分を取り戻させ、その上でかつての敗戦の雪辱を果たすことだった。そして、観客が一人もなくゴングすらないリングの上で、親友同士二人だけのリターンマッチが始まった。 ” ◎引用:wikipedia(主題歌)サバイバー『アイ・オブ・ザ・タイガー』 [youtube https://www.youtube.com/watch?v=btPJPFnesV4]出典:youtube SurvivorVEVO

59年式、ダイハツ ミゼット DKA型

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=php2qpDI6Z4?rel=0]◎撮影場所 トヨタ博物館“戦後しばらくの間も、自動車が公共的な乗り物であったわが国で、本来の大衆化は商業車から始まったといってもよい。そして、それを決定づけたのが1957年に発売した3輪車ミゼットといえるだろう。安価かつ扱いやすく、しかも軽免許で乗れることから爆発的なブームを巻き起こし、3輪車の代名詞にまでなったのである。初代のDKA型はキック式スターターやバーハンドルなどオートバイに近いが、いたるところにコストダウンや合理化の努力がみられる。 ” ◎引用:トヨタ博物館表示 For some time after WWII, automobiles were largely a public means of transport in Japan and not for private use. The trend for...

70年式、ローレル H/T 2000GX KPC30

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=ekNlJdJetbg?rel=0] ◎撮影場所 日産ヘリテージコレクション “ローレルは、1968年(昭和43年)4月に初代となるC30型が発売されました。ブルーバード(510型)よりも上級で、また法人需要が多かったセドリック(130型)とも雰囲気の異なるモデルで、中型車の世界に「ハイオーナーカー」という新たなジャンルを開拓した記念すべきモデルです。エンジンは、1800cc直列4気筒OHCのG18型が搭載され、サスペンションは、ストラットとセミトレーリングアームの四輪独立懸架式が採用されました。1970年(昭和45年)6月には、2000ccのG20エンジンとスタイリッシュな2ドアハードトップシリーズを追加。日産として初のピラーレスハードトップモデルでした。このクルマは、ハードトップシリーズの最上位に位置するスポーティグレード2000GXです。ツインキャブ仕様クロスフロー燃焼室を持つ、125馬力を誇る2000cc直列4気筒OHCのG20型エンジンを搭載しています。また、当時流行のレザートップ仕様で、ルーフパネルにビニールレザーを貼って幌のような風合い感を出したクルマです。 ” ◎引用:日産ヘリテージコレクション表示

ソノシート

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=N66G7jvP9Io?rel=0] 出典:永木 武様いやあ、ソノシート懐かしいですね! この素材は、永木 武様からご提供頂きました。感謝いたします。 ソノシート、扱いが簡単だったので、子供には良い音源でした^^ それから、『ソノシート』という呼び名は、wikipediaによるとこうらしい。 “「ソノシート」は元々は朝日ソノラマの商標だったため、「フォノシート」や「シートレコード」と言い換えられる場合がある。そのため、普及期には発売するメーカーによって商品名が異なっていたが、現在ではソノシートという呼び名が一般的になっている。 ” 出典:wikipedia

60年式、トヨペット コロナ PT20型

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=cMXNnqk3jRY?rel=0] ◎撮影場所 トヨタ博物館 “急増する小型車市場で苦戦を強いられたコロナPT10型の陰で着々と開発が進められたPT20型(ニューコロナ)は、オーナーカーとしての自信作であった。カンチレバーの後輪懸架がもたらす乗り心地のよさや、ティーザーキャンペーンをわが国で初めて展開するなど話題を呼んだ。 ” ◎引用:トヨタ博物館表示

あの頃のお笑い芸人さん達(1970年)

https://dailymotion.com/video/x5766fv わお!ほぼ半世紀前の、あのころの『お笑い芸人』さん達。懐かしい。 1970年のテレビ放送『演芸スペシャル』。 登場は、三遊亭円歌、てんやわんや、かしまし娘、立川談志、月の家円鏡、牧伸二、Wけんじ、唄子・啓介、東京ぼん太、ナンセンストリオ、ドンキーカルテット、三遊亭円楽、林家三平、トリオスカイライン、コロンビアトップ・ライト なつかしいなあ^^