54年式、ビクトリア ベルグマイスター(Germany/Victoria )
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=49EHneqyzJo?rel=0&controls=0&showinfo=0]
◎撮影場所 ホンダコレクションホール “1951年のフランクフルとショーで試作車モデルを公開し、53年末から量産を開始した。日本のライラック、イタリアのモトグッチ、ホンダGL400などのバイオニアモデルである。”
◎引用:ホンダコレクションホール表示
70年式、プリンス グロリア スーパーデラックス HA30
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=X-jihdhD9Bw?rel=0]
◎撮影場所 日産ヘリテージコレクション
“のちにセドリックと兄弟車の関係になるグロリアは、プリンス自動車工業の最高級の乗用車として誕生しました。3代目となるA30型は1967(昭和42)年発売で、日産とプリンスの合併後初の新型車として注目を浴びました。エクステリアは、プリンスが開発した貴賓用リムジン「ロイヤル」と同様に縦4灯式のフロントマスクが特徴で、ワイド感のある直線基調のボディは均整のとれたプロポーションで人気となりました。このクルマは1970(昭和45)年の最終型で、プリンス設計のG7型エンジンに替わり日産設計のL20型直列6気筒SOHCエンジンを搭載しています。”
◎引用:日産ヘリテージコレクション表示
SONY ポータブルテレビ・Mr.ネロ(1977)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=QIwAd-L8ABw?rel=0]
◎撮影場所 ソニービル “重量3.3kgのポータブル白黒テレビ。ブラウン管が90度回転するので、縦横どちらにおいても使える点が大きなポイント。横になって、寝ながらでも見られることから、Mr.Nello(ミスターネロ)の愛称で発表した。”
◎引用:ソニービル表示
81年式、ヤマハ ベルーガ CV50E
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=AfPFRz2Ke6g]◎撮影場所 ヤマハコミュニケーションプラザ“余暇の時間の増大、クルマとバイクを使い分ける『6輪ライフ』の拡大を背景に開発された、男性向けの本格派スクーター。機械部分の露出をなくしたフルカバード外装、ゆったりステップスルーのスタイリング、オールビルトインの灯火類、快適でソフトな足まわり、省エネ・低騒音に配慮した吸排気システムなど高級感のある作り込みが施された。”
◎引用:ヤマハコミュニケーションプラザ表示
The BELUGA was developed as a full-scale scooter targeting men amid the trends of greater amounts of free time and the growing “six-wheel...
漫画トリオ
「パンパカパーン パンパンパン パンパカパーン 今週のハイライト」!!漫画トリオ、懐かしい^^
「ノックです、フックです、パンチ(後の上岡龍太郎)です。」のトークも懐かしい。。
1960年に結成し、ノックさんの出馬で68年に解散ですから、解散後、既に半世紀ですね!1968年に解散し、テレビの企画で10年後に3人が揃った1978年のテレビ映像
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=t7dw1TBdtq8]出典:youtube
76年式、ホンダ バイアルス TL50
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=QY_MuuRgQDI]◎撮影場所 ホンダコレクションホール“CB50JX-I、ミニエンデューロDXE50とこのTL50のトリオでデビュー。上級車TL125、250と同様にスタイリッシュで、5段ミッションを装備する。”
◎引用:ホンダコレクションホール表示
HONDA BIALS TL50
The TL50 went on sale at the same time as the BENLY CB50JX-I and the XE50 minibike. Its stylish lines come...
Double Dealing Woman(唄:紫)1975年
いやあ、紫、懐かしい。
最初ディープパープルのコピーバンド?って感じで聞いてみたけど、
なんのなんの素晴らしいじゃないですか、、
初めて聞いた時、プチ衝撃でしたね!
このDouble Dealing Womanは、コピーしてるバンドも多かったですね!
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=un6ZC4jHFr0]
出典:youtube
☆番外編(クラシック)23年(大正12年)式.ワンダラー(Germany/Wanderer)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=IKPyxXZVLOY]◎撮影場所 ホンダコレクションホール明治、大正時代の日本に、数多く輸入された代表的なドイツ車で、Vツイン搭載車も造られた。1959年に公開された映画『妻の勲章』にも登場。車名は “旅人”を意味する。
◎引用:ホンダコレクションホール表示
映画 ベンハー(日本公開1960年)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=4hrbRDAOF4k]
出典:youtube初めて見た子供の頃、壮大なスケールと、あまりにも残酷なシーン、辛いシーン、人はこういう歴史を経てきたのかあと、痛みや、感動や、チャールトンヘストンってすげーとか、なんやら入り混じった複雑な思いを抱きながら、ど迫力のスクリーンを見ていたあのときの自分が思い出されます^^
アカデミー賞の史上最多受賞作品ストーリー
“紀元26年のエルサレム。イエス・キリストが厩で生誕して20数年後、イスラエルの王族の血を引く貴族ジュダ=ベン・ハー(チャールトン・ヘストン)は幼なじみのメッサラ(スティーヴン・ボイド)がローマ帝国司令官として任地エルサレムに戻ってきて、二人は再会を喜びあうが、やがて支配者側のメッサラと被支配者側のベン・ハーとで意見が分かれ、二人の間には亀裂が走る。
その頃新しい総督を迎えてローマ軍が行進しているさなかに、ベン・ハーの屋敷の瓦が崩落して新総督が重傷を負い、司令官メッサラはベン・ハーに総督暗殺を謀ったとして逮捕し、奴隷の身分に落として漕手刑(ガレー船の漕ぎ手とする極めて重い刑罰)を言い渡す。ベン・ハ―の母ミリアム (マーサ・スコット)と妹ティルザ (キャシー・オドネル) は牢に入れられて家族は離散する。そして囚人としてガレー船に送られる道中、ベン・ハーは乾きに苦しめられ倒れるが、その時一人の男に水を飲ませてもらい、不思議なことに力を得て窮地を脱する。
ガレー船でベン・ハーは漕手として3年間を過ごすが、メッサラへの恨みが彼の全身を貫いていた。そしてたまたまマケドニア艦隊との海戦で沈没する旗艦から総司令官アリウス(ジャック・ホーキンス)を救出するという殊勲を上げ、漕手刑を赦免されてアリウスの養子となり、ローマの市民権を得て二輪戦車競走の騎手として注目されるまでになる。しかしエルサレムの母と妹の安否が分からず、ベン・ハーはアリウスのもとを去ってエルサレムに向かう。この時に救世主が現れたとして探し歩く老人を知り、また途中で族長イルデリム(ヒュー・グリフィス)と知り合い、彼の助力を得ながらエルサレムに実母と妹を探しに戻った。
しかしもとの邸宅に戻ると家臣だったサイモニデス(サム・ジャッフェ)とその娘エスター(ハイヤ・ハラリート)がいたが、父サイモニデスはベン・ハーの逮捕の折りに投獄され拷問を受けて半身不随の身体にされていた。そしてエスターから母も妹も亡くなったと聞かされて復讐の鬼となった。だが実はエスターは母と妹が生きていることを知っていた。ベン・ハーがローマで貴族となった知らせを聞いたエルサレムの役人が牢の奥深くに閉じ込められた母と妹を突然出獄させたのだが、この時二人ともライ病に罹り、病人だけの隔離場所である洞穴に行くとエスターに伝えて息子には死んだと言うように嘆願されていた。エスターはその後も隔離場所に食事を運び二人を援助していた。この時エスターは心の拠り所を噂で聴いたイエスに委ねていた。
そうとは知らないベン・ハーは、仇敵メッサラと二輪戦車競走で相まみえ、族長イルデリムが集めて入念に調教した優秀な4頭の馬を操って円形競争場で激しい争いをメッサラと繰り広げた。そしてメッサラとの死闘を制したベン・ハーだったが、その直後に瀕死で虫の息のメッサラから母と妹がライ病に侵されながらも生きていることを知る。そして密かにエスターの後を追って洞穴で生きながらえる母と妹に再会した。ベン・ハーは家族や親友を不幸にしたローマを憎み、ローマの市民権を放棄する。悩むベン・ハーにエスターは救世主と言われるようになったイエスの話をするがいっこうに聞く耳を持たない。やがてイエスが裁判にかけられて磔にされるという話を聞いて、すがる思いで母と妹を連れて街に繰り出すが十字架を背負ったイエスを見て、あの時に水を恵み自分を救ってくれた人であったことにベン・ハーは愕然とする。母と妹を帰らせてベン・ハーは後を追いかけ、そして倒れたイエスに今度は自ら水を飲ませたが役人に蹴られ、やがてゴルゴダの丘でイエスは磔の刑に処せられた。その直後に俄かに天から雷雨と大風が舞い、イエスの流した血が大地を流れていった。
絶望したベン・ハーは重い心で邸宅に戻った。しかしエスターは微笑みながら彼を迎えた。ふと上を見上げると母と妹が元の姿に戻っていた。あの雷雨の中で洞穴に退避した母と妹は急な激痛の後に病が癒えていたのだった。信じられないベン・ハーは母と妹を抱きしめながら喜びを分かち合った。”
◎引用:wikipedia
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68年式、日産 プレジデント 150型
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=XsE3JGz3fak?rel=0]◎撮影場所 日産ヘリテージコレクション “1965年(昭和40年)、セドリックスペシャル(50型)の後継車種として、当時のインターミディエイトクラスの米国車に比肩する新型高級乗用車『プレジデント』が発表されました。外観は曲線によるハーモニーをテーマに、エアロダイナミックが融合した「現代の曲線」が基調とされました。エンジンは、ハイヤー使用を想定し経済性を考慮した直列6気筒2974ccと、静粛性向上のためのオイルタペットやサイレントチェーンを採用した余裕の180馬力を誇るV型8気筒3988ccの2種を採用。シャシーにも、アンチハーシュネス、アンチノーズダイブ、アンチロール性能を持った速度比例型ショックアブソーバーを採用し、ブレーキはマスターバック付きディスクブレーキを採用するなど先進技術が数多く投入されました。コンフォートアクセサリーと名付けられた快適装備は、乗用車として国内初採用のパワーステアリング、熱線入りリアウインドウ、防眩インサイドミラー、無段変速ワイパー、リモコン式フェンダーミラー、トランクマウントの後席用クーラー等30種類を超え、まさに日本を代表する高級車の最高峰にふさわしいものでした。このクルマは1968年製で、V8エンジン搭載のC仕様です。”
◎引用:日産ヘリテージコレクション表示
Latest reviews
映画 ポセイドン アドベンチャー(日本公開1973年)
劇場で見ました。
中2になったばかりの頃でした。
客船が180度転覆する時の恐怖、
人間がパニックに陥った時の変貌ぶりへのショック、
救出の時の感動は凄まじく、
終わった後の虚脱感が半端なかったなあ。。。
ストーリーはWikipediaでどうぞ!
ポセイドン・アドベンチャー - Wikipedia
https://www.youtube.com/watch?v=dd03qev59Jo
出典:youtube SPARTEN2 様
1969年式、グロリアスーパーデラックスPA30
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=OzZrA1CsqPw]
◎撮影場所 日産ヘリテージコレクション“プリンス自工と日産自動車の合併に伴って「ニッサン・グロリア」として1967年(昭和42年)4月にデビューした三代目・A30型は、実質的には旧プリンスの開発車ですが、先代までの後輪ド・ディオンアクスルは一般的な縦置きリーフ・リジッドに変更されるなど、徐々に日産車との部品共用化が図られました。A30型のスタイリングは、前年に発表された貴賓用リムジン「ロイヤル」に似たイメージを持たせ、長く幅広く低重心の風貌は「ロイヤル・ライン」と呼ばれました。特徴的な縦型4灯式のヘッドランプにより、「タテ目のグロリア」とも通称されます。1969年(昭和44年)10月の小変更でプリンスからのG7型エンジンも日産のL20型に換装。その後のグロリアは、次の4代目(1971年・230型)以降、ボディもセドリックと共通化されました。このクルマは、G7型エンジン搭載時代のスーパーデラックス、コラムM/T仕様です。”
◎引用:日産ヘリテージコレクション表示
73年式、トヨタ セリカ リフトバック
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=xiTvbxiJS2g?rel=0]
◎撮影場所 トヨタ博物館 “DOHC2000ccの高性能エンジンを搭載し、スポーティ ドライブを実現した。同時に、サーフボードやキャンプ用具など、大型レジャー用品の積載も可能にしたリフトバック車としたことで、レジャー志向の若者に絶大な人気を得たのである。 ”
◎引用:トヨタ博物館表示
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