NHK特集 シルクロード(1980年4月〜)
大好きな番組でした!
シルクロードのあまりにも魅力的な光景に加え、
石坂浩二さんのナレーションが、とてつもなくマッチしてて、素敵でした。
音楽も喜多郎の世界が絶妙に絡み合い最高の作品に仕立ててましたね!
歴史好きには、もうたまらない番組でした!はるかなる大宛 〜天馬を求めて〜(1984年1月9日放送)
https://dailymotion.com/video/x2ml4sr
出典:dailymotion消えた隊商の民 〜ソグド商人を探す〜(1984年2月6日放送)
https://dailymotion.com/video/x2mp1hq
出典:dailymotion
夢路いとし・喜味こいし
https://dailymotion.com/video/xcuxc6
お笑い番組にはこのお二人がいつも登場していて、
今でもお二人の画像を見ると、
なぜかほっとする。。
今、動画を見直すと、
とても上質な笑いを提供してくれてたんですね!
これが名人芸ですね! “夢路 いとし・喜味 こいし(ゆめじ いとし・きみ こいし)は、戦前から21世紀初頭にかけて活動した、夢路いとしと喜味こいしの兄弟による日本の漫才コンビ。1937年に少年漫才コンビとして活動を開始、2003年9月に兄の夢路いとしが死去するまで活動を続けた。1999年、大阪市指定無形文化財に指定。「上方漫才の宝」と呼ばれる。”
◎引用:wikipedia
☆番外編(クラシック)47年(昭和22年)式、たま 電気自動車
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=STP7pU60Nts]◎撮影場所 日産ヘリテージコレクション“「たま」は、戦前の立川飛行機から派生した「東京電気自動車」が開発した電気自動車です。このクルマが登場した1947(昭和22)年当時の日本は、終戦直後で物資や食糧だけでなく、深刻な石油不足に見舞われていた一方で、家庭電化製品はまだほとんどなく、工場も破壊されて大口電力需要者もいなかったため電力の供給は余剰気味でした。この状況下で政府も電気自動車の生産を奨励したため、市場には新興自動車メーカーの電気自動車が多数存在しました。その中で「たま」は、第1回電気自動車性能試験でカタログ性能を上回る航続距離96㎞、最高速度35㎞/hというトップの性能を記録して注目を集め、1951(昭和26)年頃までタクシーなどで重宝されました。型式名E4S-47 I型は、 Eは電気、4S は4人乗りセダン、47は年式、I型は初期型の意です。なお、「たま」のブランド名は工場のあった多摩地区から命名され、ホイールキャップにも「たま」の文字をかたどったロゴが読み取れます。電気自動車(EV)が終戦直後の日本の道を走り、日本の復興に一役買っていた事実からも、EVの意外な歴史の重みを感じます。2010年、電気自動車LEAFの発表に合わせて社内の有志によってフルレストアされ走行することも可能になりました。”
◎引用:日産ヘリテージコレクション表示
After the war oil was very scarce, but electricity was plentiful. For this reason, there was a period when the...
☆番外編(クラシック)27年(昭和2年)式.BMW R47(Germany/BMW)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=5Kt5o_mRl6A?rel=0]
◎撮影場所 ホンダコレクションホール “BMW初のOHVフラットツインスポーツモデルR37の発展型。ミッションをグリスからオイル潤滑式にして品質を高めた。”
◎引用:ホンダコレクションホール表示
冬が来る前に(唄:紙ふうせん)1977年
“紙ふうせん”のヒット曲『冬が来る前に』、出だしのフレーズの意外性がすごく心にひっかかる曲でした。
ついこの前のように感じますが、もう40年経つんですね!
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=jWEPaCjbZG4]
出典:youtube 尚美degu1996 様◎作詞:後藤悦治郎 ◎作曲:浦野直
81年登場、スズキ GSX-1100S KATANA
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=QsUz9ry6Zqg?rel=0]◎撮影場所 スズキ歴史館“1981年にハンス・ムート氏のデザインで欧州市場に登場したカタナは、その後各地で絶大な人気を得て、2000年まで生産されるロングセラーモデルとなりました。展示車両は、2000年に1100台限定で発売したカタナの最終生産モデル『ファイナルエディション』です。1100というシリアルナンバーをつけたこの車両は、長年多くのお客様から愛されてきたカタナの最後の生産を締めくくった貴重な車両です。 ”
◎引用:スズキ歴史館
GSX1100 KATANA
The GSX1100S KATANA,designed by Hans Much,was introduced to European market in 1981.Since then,it has gained enormous popularity in many markets around the...
60年式、ダットサン フェアレディ SPL213型
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=wVsscN5TEtA?rel=0]
◎撮影場所 日産ヘリテージコレクション“1960年(昭和35年)1月から本格的に北米輸出が開始されたフェアレディ(SPL212型)は、小型スポーツカーとして自動車先進国であったアメリカで一定の評価を獲得しました。そして、同年10月SPL213型へとマイナーチェンジを受けます。搭載エンジンはSPL212と同じ1189ccでしたが、圧縮比を7.5から8.2に変更するなどのチューニングが施され、48馬力から55馬力へとパワーアップを果たしました。生産台数は、212と合わせシリーズとして500台程度という貴重なモデルです。記念車は、美しい曲線を描くモールで分割された赤と白のツートンカラーのエクステリアがとてもおしゃれなSPL213(「L」はLeft handle、左ハンドルを表すアルファベット)です。”
◉引用:日産ヘリテージコレクション表示
☆番外編(クラシック)38年(昭和13年)式、ダットサン17型セダン
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=andZOVDic2o]◎撮影場所 日産ヘリテージコレクション“戦時色が濃くなりつつある1938年(昭和13年)にデビューを果たしたダットサン17型セダンは、タフで経済性に優れ、日本中で大いに活躍しました。エクステリアデザインは、前年に登場したダットサン16型セダンを踏襲しています。フロントグリル中央を貫くように、太めの縦バーが入っているのが特徴です。純綿や純毛が不足していた時代背景もあり、インテリアはシンプルに仕上げられています。搭載されるエンジンは、サイドバルブ(SV)の722ccで、16馬力という最高出力も16型と同数値です。この年はドイツで初の国民車となるフォルクスワーゲン・ビートルが誕生しており、当時の先進国では、第二次大戦前のモータリゼーションが高まりつつある状況にありました。”
◎引用:日産ヘリテージコレクション表示
In 1938 Japan was already at war in China. The rugged and very economical Datsun was hugely popular. The exterior was not much...
3億円事件
いやあ、これほどまでに世の中を騒がせた、現金強奪事件は無かったですよねー。被害額2億9430万7500円は、現在の貨幣価値だと10億円を超えるとか。68年12月10日に発生し、75年12月10日に時効が成立。あの頃、何かにつけて、話題が絶えなかった。実行犯、いまどうしてるのだろうか??1968年(昭和43年)12月10日事件発生
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=VtoOZKtDEfY]出典:youtube 懐かしの毎日ニュース1975年(昭和50年)12月10日公訴時効が成立
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=qxH4nMj6VkE]出典:youtube 映画社中日事件の概要
“現金輸送車に積まれた東京芝浦電気(現・東芝)従業員のボーナス約3億円(2億9430万7500円)が、白バイまで用意した偽の白バイ隊員に奪われた事件である。被害金額3億円は現金強奪事件としては当時の最高金額であった。その後の現金強奪事件では金額こそ三億円事件よりも強奪金額が多い事件があるが、1968年(昭和43年)当時の3億円は、平成26年(2014年)の貨幣価値に直すと約10億円に当たり、貨幣価値においては現金強奪事件としては日本最高である。
三億円強奪事件ともいわれているが、事件のあった日本において、本件犯行は強盗罪には該当せず、窃盗罪となる。犯人が暴力に訴えず計略だけで強奪に成功していること、盗まれた3億円は日本の保険会社が支払った保険金により補填され事件の翌日には従業員にボーナスが支給されたこと、その保険会社もまた再保険をかけており日本以外の保険会社によるシンジケートに出再していたことから補填され、直接的に国内で金銭的損失を被った者がいなかったという認識から、及び被害金額2億9430万7500円の語呂から、「憎しみのない強盗」とも言われる。一方で、マスコミの報道被害を受け後年自殺した人物や、捜査の過労で殉職した警察官2名が存在する。
警視庁捜査において容疑者リストに載った人数は実に11万人、捜査した警察官延べ17万人、捜査費用は7年間で9億円以上が投じられる空前の大捜査となったが、1975年(昭和50年)12月10日、公訴時効が成立(時効期間7年)。1988年(昭和63年)12月10日、民事時効成立(時効期間20年)。日本犯罪史に名前を残す未解決事件となった。
この事件以来、日本では多額の現金輸送の危険性が考慮されるようになり、給料等の支給について金融機関の口座振込としたり、専門の訓練を積んだ警備員による現金輸送警備が増加した。 ”
◎引用:wikipedia事件の経緯
“1968年(昭和43年)12月6日、日本信託銀行(後の三菱UFJ信託銀行)国分寺支店長宛に脅迫状が届いた。翌7日午後5時までに指定の場所に300万円を女性行員に持ってこさせないと、支店長宅を爆破するというものであった。当日、警察官約50名が周辺に張り込んだが、犯人は現れなかった。
4日後、12月10日午前9時30分頃、日本信託銀行国分寺支店(現存せず)から東京芝浦電気(現・東芝)府中工場へ、工場従業員のボーナス約3億円、正確には2億9430万7500円の現金が入ったジュラルミンのトランク3個を、輸送中の現金輸送車(セドリック)が、府中刑務所裏の府中市栄町、学園通りと通称される通りに差し掛かった。
そこへ白バイ隊員に変装して擬装白バイに乗った犯人が、オートバイに被せていたと思われるシートを後方に引っ掛けた状態のまま現金輸送車を追いかけ、現金輸送車の前を塞ぐようにして停車した。
現金輸送車の運転手が窓を開け「どうしたのか」と聞くと、「貴方の銀行の巣鴨支店長宅が爆破され、この輸送車にもダイナマイトが仕掛けられているという連絡があったので調べさせてくれ」と言って、輸送車の車体下周りを捜索し始めた。
4日前に、支店長宅を爆破する旨の脅迫状が送り付けられていた事もあり、その場の雰囲気に銀行員たちは呑まれていた。犯人は、輸送車の車体下に潜り込み爆弾を捜すふりをして、隠し持っていた発炎筒に点火。「爆発するぞ! 早く逃げろ!」と銀行員を避難させた直後に輸送車を運転し、白バイをその場に残したまま逃走した。
この時銀行員は「警察官」が爆弾から遠ざけるために輸送車を退避させたと考え、「勇敢な人だ」と思ったという。しかし、路上に残った発炎筒が自然鎮火したのち、オートバイに詳しい輸送車運転手が残された白バイが偽物と気付いたことから、「警察官」は偽者であり現金強奪事件であることが早くも判明した。
9時50分に伊豆・小笠原を除く東京都全域に緊急配備が敷かれた。奇しくも、この日は毎年恒例の歳末特別警戒の初日であった。警視庁は要所で検問を実施したが、当初は自動車の乗換えを想定していなかった事もあり、当日中に犯人を逮捕することが出来無かった。 ”
◎引用:wikipedia
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53年式、MV アグスタ 125 スポルトコンペツィオーネ(Italy/MV Agusta)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=hiJ5V_HeGIg?rel=0&controls=0&showinfo=0]◎撮影場所 ホンダコレクションホール “ホンダが'54年に初参加した、ブラジル国際レースで一緒に走った市販レーサー。すでにOHCエンジンを搭載、技術の差を感じさせたマシン。”
◎引用:ホンダコレクションホール表示
MV AGUSTA 125 SPORT COMPETIZIONE
This production racer was entered in the Brazil International race in 1954, the year Honda made its first entry....
Latest reviews
ブルースリー
日本で旋風が巻き起こったのは、燃えよドラゴン。多分、この辺りからですね!
あの頃は、何もかも巻き込んでしまったのではないでしょうか?
凄まじいパワーでした。
子供達はヌンチャク作って、真似しました。
口からは、いつのまにか
アチョ、アチョ、アチャー!
表情までも真似して、、
学校にはブルースリーになりきってる子も
何人もいました^^
亡くなったのが1973年ですから、
日本でのブームは亡くなった後だったんですね!
32歳、早すぎる死でした。
燃えよドラゴン
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=usdcpWXPaDY]
出典:youtube
85年式、ヤマハ SRX600
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=YG1NCSoKJEU?rel=0]
◎撮影場所 ヤマハコミュニケーションプラザ “軽量・スリム・コンパクトなボディにSOHC・4バルブ・単気筒エンジンを搭載した個性的な600ccスポーツモデル。シンプルでモダンなフォルム、随所にアルミやメッキパーツを使った質感の高いディテール、軽快かつスポーティな走行フィーリングなど、ビッグシングル・モーターサイクルの魅力を伝統的なスタイルのSR500とは異なるテイストで表現した。 ”
◎引用:ヤマハコミュニケーションプラザ表示
ヤマハタウニーのCM(1980年)渡辺貞夫
https://dailymotion.com/video/x5f0vle
出典:dailymotion80年、ヤマハタウニーのCM。これ大好き^^
おじさんのキャラもいいし、渡辺貞夫さんの爽やかさもいいし、何と言っても『いいなあ、これ』『いいなあ、あれ』のセリフがまた可愛らしい^^
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