69年式、ヤマハ AT-1

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=BukDe0Dr-jU]◎撮影場所 ヤマハコミュニケーションプラザ前年に発売されたDT-1の大ヒットを受け、同様のコンセプト・デザインでシリーズ展開されたトレールモデル。5ポートを採用したパワフルな125ccエンジン、リターン式5段変速機、強靱で軽量なダブルクレードルフレーム、セリアーニ式フロントフォークなど、抜群の走破性でオフロード愛好者の層をさらに拡大した。 出典:ヤマハコミュニケーョンプラザ表示 This is one of the series of trail models developed with the same basic concept and design of the big hit model DT-1...

☆番外編(クラシック)47年(昭和22年)式、たま トラック (ガソリンエンジン仕様)

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=V9RDtLYT4qM]◎撮影場所 日産ヘリテージコレクション“たまトラックは、セダンとともに1947(昭和22)年にデビューしました。型式E0T-47II型の読みは「イー・ゼロ・ティー・ヨンナナ・二ガタ」で、E は電気自動車、0は0.5t積み、T はトラック、47は年式、IIはマイナーチェンジ後を示します。 セダンは4名定員でしたが、トラックである貨物車は多くの荷物を載せるカーゴスペースがあるぶん、キャビンは2人乗りです。このガソリンエンジン仕様車は、朝鮮戦争により鉛の価格が高騰しバッテリーの価格も高騰、入手困難となり、一方ガソリンは、統制が解除され、市場で入手可能になったため、のちにガソリンエンジン仕様に改修されたものです。直列4気筒の760ccエンジンを搭載。最大積載量は500kg。大きなフロントライトが目を惹く愛くるしいフロントマスクは、セダンと同じです。” ◎引用:日産ヘリテージコレクション表示 Tama Truck This was launched in 1947 by the Tokyo Electric Cars Co. together with a sedan. Both truck and...

映画 おませなツインキー(日本公開1972年)

おませなツインキー、内容よりも、スーザン・ジョージが可愛くって可愛くって、、 私の中でトレーシーハイド、オリビアハッセーに抱いた想いと同じような淡い想い。 あの時の超ミニの彼女の姿を思い起こすと今でもドキドキする。 ブロンソンが羨ましかったなあ^^ “秋、ロンドン。見るからに古びて伝統のありそうなハイスクールに通う女生徒たちの一群。その中でひときわ魅力的なツインキー(S・ジョージ)は十六歳。彼女には恋人がいた。スコット(C・ブロンソン)という小説家だ。彼は三八歳、書く小説とは、男と女の愛の物語、つまりエロ小説である。ある日の朝、ツインキーは友達たちと登校の途中、Uターンしてスコットの家に向った。彼はまだ寝ていたが、無理矢理おこして料理を作った。そして突然、結婚を申し込んだ。ビックリするスコット。スコットは結婚するにはあまりにも若すぎるツインキーのために反対するが、傷ついたツインキーは家を飛びだしてしまう。しかし、一瞬とまどったスコットも、ツインキーの純粋な愛に気づき、彼女のあとを追った。やがて結婚を誓った二人に多難な道が立ちふさがってくる。ツインキーの父(M・クレイグ)と母(H・ブラックマン)は、ツインキーが若すぎること、スコットがエロ小説家であること更に二人は二二も年がはなれていることを理由に猛反対した。スコットは呼びだされ、さんざん文句をいわれる。一方、そんなことは知らないツインキーは友達を呼んで大騒ぎ。業を煮やしたスコットは、ツインキーを引っぱって結婚許可のとれるスコットランドに飛んだ。そんな二人を見送るのはツインキーのおじさん(T・ハワード)だけである。新婚生活が始まり、ツインキーの両親も二人の生活を見守るしかなかった。スコットはチャーミングな花嫁をニューヨークに住む両親に紹介しなくてはならない。ツインキーは夢に見た憧れのニューヨークへいけるので大はしゃぎだ。ニューヨークでは、スコットの両親も花嫁のあまりの若さに驚ろいた。数日を両親の家ですごした二人は、ここでスイート・ホームを作らなければならない。スコットは家捜しと文筆の仕事。ツインキーは眼をきょろきょろさせながらニューヨーク中を歩きまわる。そして街頭で人種差別のデモに参加してプラカードを持っているところをスコットに見つかってしまった。何も知らない異国の地でのツインキー。怒るスコット。そんな彼らに警官が飛びかかったからたまらない。思わず警官を殴ったスコットはブタ箱に放り込まれた。自らのあやまちを悟ったツインキーは、スコットが出所するまで自力の力で部屋を捜しておく決意をする。やっとのことで再会した二人。落着いた家と可愛いらしい妻、スコットは食べていくために早く本を書かなければならない。一方、ツインキーはひまである。故意ではないが、彼の仕事を邪魔するような行動をとる。ついにスコットは怒ってしまい、ツインキーは家出をしてしまう。ツインキーは三日間も地下室の倉庫で暮していた。そして翌日、ツインキーは黒板に書き置きを残してロンドンへ戻った。早春のロンドンの空の下で、まだ冷たい風に吹かれながらツインキーは思いきり自転車のペダルを踏んでいた--。” ◎引用:MovieWalker

UHFとコンバーター

出典:三菱電機「16T-730」修復記 様/ いやあ、懐かしい! UHF放送がスタートした頃、 テレビにはまだチャンネルが内臓されてなかったので、 どこの家庭もこのコンバーターを利用して見てましたよね^^ 私は地方でチャンネルが少なかったので、 今まで見れなかった番組が見れるようになって、 とてつもなく嬉しかったこと覚えてます^^

59年式、スズキ スズライトTL

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=_y_qBY_clv0]◎撮影場所 スズキ歴史館 “TL型もFF方式を採用。「大きな居住空間と荷室」「力強く加速性の高い軽自動車」として高い評価と人気を得ました。スズキは、このTL型の人気により、軽自動車生産で急激な伸長を見せ、発表3ヶ月後の1959年12月には当初の目標であった月産200台に達し、1960年には5824台の生産実績を上げました。” ◎引用:スズキ歴史館表示

かしまし娘

子供の頃はなんとなく見てたので気づきませんでしたが、 こうやって動画をじっくり見てみると、 歌がすごくお上手だったんですね〜^^ お笑い番組みると、 当たり前にように登場されていて、 そして、もう見なくなった今、 ああ、また見てみたい! そう思ってしまいます。。。 3人揃っての かしまし娘、1981年休業。 下の動画は、それから21年振りのステージのようです。 https://www.youtube.com/watch?v=1CGPuOd6TtE 出典:youtube 克也石黒 様 https://www.youtube.com/watch?v=b66exM2wDMA 出典:youtube アダチ宣伝社 様

☆番外編(クラシック)26年(昭和1年)式.ブガッティ タイプ 35B(France/Bugatti)

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=xyDnbaFHTl0?rel=0] ◎撮影場所 トヨタ博物館 “エットーレ・ブガッティの作品のなかで、もっとも有名なタイプ35は量産レーシングスポーツカーとして大成功を収め、世界中を驚嘆させた傑作である。それはエットーレの独創性から生まれ、レーシングカーの持つ機能美を徹底的に追求し、各部品の調和まで考え、自動車を芸術ともいうべき造形に変えてしまったのだ。しかもタイプ35は美しいだけではない。ブレーキドラムと一体鋳造したアルミホイールや運動性能の高いシャシー設計などメカニズムの点でも大いに注目できる。タイプ35Bは、1924年から30年までつくられた35シリーズのなかでもスーパーチャージャーを装備した高性能モデルである。 ” ◎引用;トヨタ博物館 Bugatti Type 35B (1926, France) Of Ettore Bugatti's creations, the most famous was the Type 35, which achieved great success as a mass-production sports...

☆番外編(クラシック)35年(昭和10年)式、東京自動車製造 筑波号

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=8Bp1mt7NPAo] ◎撮影場所 トヨタ博物館 “国産初の前輪駆動車は、オートレースで活躍した川真田和汪氏が1931年に製作した「ローランド号」といわれている。その改良発展型である「筑波号」は、1935年から3年間、東京自動車製造(株)により、3車種(セダン、幌型、トラック)がおよそ130台生産された。なお、車名は関東の筑波山に由来している。” ◎引用:トヨタ博物館表示

スペクトルマン(1971年1月〜)

この番組、最初は『宇宙猿人ゴリ』、次に『宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン』、そして『スペクトルマン』と、タイトルが2回も変るという場組でした。『ゴリ』に『ラー』。愛嬌のあるネーミングで、あだ名になった友達がいましたねー。最初はタイトル通り、ゴリが主役だった。そこからだんだんスペクトルマンに主役がシフトしていきました。公害問題を絡めたストーリーがスポンサー側から不評で内容変更を迫られた結果のようです。ストーリー “惑星Eから追放された悪の天才科学者・宇宙猿人ゴリは地球に到達した。美しい地球に魅せられるゴリだったが、公害による地球汚染を見て憤激、自分が人間にとって代わって地球の支配者になろうと考える。彼は公害などを利用して次々と侵略怪獣を送り出すが、ネビュラ71遊星の指令で地球に派遣されたエージェント、スペクトルマンがその前に立ちはだかる。” ◎引用:wikipedia
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ロンパールーム(1963年10月〜)

私の世代は、うつみみどりさん。この番組は1963年スタートで、 2代目となる、うつみみどりさんは1966年からとか、、 「鏡よ鏡よ鏡さん、、」目を瞑れば、あの場面がよみがえる^^ (概要) “司会のお姉さんは「先生」と呼ばれていた。初代先生は並木翠(夫の海外赴任に伴い降板)、2代目先生はうつみ宮土理(出演当時の芸名は「うつみみどり」である)。以降、「みどり先生」が定着し、3代目以降も「みどり」を名乗るようになる。並木翠は番組開始前にニューヨークへ渡り、世界各国の「先生」と共に本番組制作の研修を受けた。2代目先生のうつみ宮土理は本番組でデビューし、出世作となった。 放送開始から1年間は生放送で行われていたが、以後は録画放送(後述の「きれいなきんたま」事件では既に録画放送だった)。収録は2週間分まとめて行われ、2週連続で同じ幼児が出演した。その際に服は着替えたという。1回に出演する幼児は6人。最終日の土曜日(のちに金曜日)には幼児たちの友達も出演していた。 番組の構成は「教育 - 遊び - おやつ - 絵本」という流れで、これはアメリカ版と同じである。” ◎出典:wikipedeia   [youtube https://www.youtube.com/watch?v=HPMx4gtEk8Y] 出典:youtube TOKYOGASNINGEN 様

65年式、スズキ T20

Latest reviews

飛び出せ!青春(1972年2月〜)

レッツ・ビギン Let's begin!のシーン、 村野武範さん、酒井和歌子さんが懐かしい!いまでもくっきり覚えてます!!そして、青い三角定規の主題歌が大ヒットしましたね!!青春ドラマは、もう一度見てみたいな^^ https://dailymotion.com/video/x5eh853 出典:dailymotionダイジェスト版を少しだけ!懐かしい面々が登場します^^ストーリー “「来る者は拒まない」という校長の方針により、無試験入学制度をとっている太陽学園高等学校には全国から落ちこぼれが集まっていた。中でもサッカー部は劣等生の集まりだった。新任の教師・河野武は、赴任早々のトラブルで教頭に疎んじられ、さっそくサッカー部の部長を押し付けられる。だが、河野は持ち前のチャレンジ精神と同僚の女教師・本倉明子の協力を得て生徒たちに熱き思いを伝えてゆくのだった。第1話のタイトルでもある「レッツ・ビギン Let's begin!」がこのドラマを通しての合言葉でテーマである。 ” ◎引用:wikipedia https://dailymotion.com/video/x4qlq7m 出典:dailymotion青い三角定規が唱って、大ヒットした、主題歌『太陽がくれた季節』好きだなあ^^

オバケのQ太郎(1965年 8月〜) 新オバケのQ太郎(1971年9月〜)

オバケのQ太郎、もう生活の一部でした。欠かさず見てましたね〜 オバQのキャラクター商品も魅力的なものばかりだった^^ 71年からは、新オバケのQ太郎もスタートし、これも欠かさず見てました^^ O次郎も登場し、また違った魅力がありました^^OP/ED [youtube https://www.youtube.com/watch?v=xdNjaUGXfA8] 出典:youtube新オバケのQ太郎・OP/ED https://dailymotion.com/video/xgx81s こちらは、71年9月からスタートした『新オバケのQ太郎』のオープニングとエンディング。聞いてみて、ああそうだった!って感じ^^ あまりにも65年版のイメージが強すぎて、記憶からスルーされてましたが、確かに、うんうん、これだった^^

0戦はやと(1964年〜)

筆者が子供の頃は、防空壕跡が遊び場になってたり、まだ戦争の余韻というか、戦争の傷跡に触れることが時々あった。 遊びも普通に戦争ごっこがあり、この 0戦はやと も、すごくカッコよく目に映ったなあ! もう内容の記憶はおぼろげだけど、0戦はやと大好きでした。 ◎第1話『奇襲』 https://dailymotion.com/video/x5kli1b ◎出典:dailymotion(漫画版のストーリー) “昭和17年(1942年)、大日本帝国海軍は各戦線から腕利きの撃墜王35人を集め、宮本大尉の下に爆風隊を結成、ニューギニア戦線で64機撃墜の実績を誇る東隼人もその一員に選ばれた。モロタイ基地に派遣された爆風隊は、隼人が考え出した数々の奇策もあって何度も大きな戦果を上げるが、隼人の父である黄桜隊司令官東大佐は、敵のエース・パイロット、スカイキング中尉(後にキングサタン中佐と名前が変わる)に撃墜されてしまう。隼人はキングサタンに一騎討ちを挑むがかなわず、その後特訓を繰り返し、最後にキングサタンを倒したところで物語が終わる。” ◎引用:wikipedia

 

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