69年式、ブルーバード1600sssクーペ KP510(サファリブラウン)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=I34f34BNG0A?rel=0&controls=0&showinfo=0]◎撮影場所 日産ヘリテージコレクション“3代目ブルーバードの510型は、1967年(昭和42年)8月に発売されました。初期のボディバリエーションは2ドア/4ドアセダン、5ドアのワゴン/バンでした。エンジンは当時新開発の直列4気筒OHCで、1300ccのL13型と、SSS(スーパー・スポーツ・セダン)グレードに搭載される1600ccのL16型の2種類でした。シャープなスタイリング、高い基本性能と実用性が大好評となり、グローバル販売累計台数150万台以上を記録する大ヒットとなりました。翌1968年(昭和43年)11月に1600ccの2ドアクーペシリーズが登場。1970年(昭和45年)にはセダンの「1600SSS」が第18回東アフリカ・サファリラリーで総合&チーム優勝を達成し、世界規模で高い評価を獲得しました。このクルマは、100馬力のL16型ツインキャブ仕様エンジンを搭載した、ブルーバードの代名詞とも言われる「SSS」モデルで、シリーズの中でも特に人気を博しました。ボディカラーは、優勝したサファリラリーをモチーフにしたサファリブラウンです。”
◎引用:日産ヘリテージギャラリー表示
The third-generation Bluebird was launched in August 1967 and it was a big hit, recording a total production run of 1,552,145 units. The...
65年式、ジャガー Eタイプ ロードスター( U.K./ Jaguar)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=5xDI5CaHmmA]◎撮影場所 トヨタ博物館“1961年ジュネーブショーで華々しいデビューを飾ったEタイプはジャガーXKシリーズの後継としてジャガーのスポーツラインナップを担う車として開発され、美しいスタイル、高性能、割安な価格でアメリカを中心にヒットした。15年間で7万台以上が生産された。スタイルの特徴であるロングノーズ、ショートデッキは後のスポーツカーに大きな影響を与えた。ボディタイプはオープン2シーターのロードスターとクーペの2種類がある。”
◎引用:トヨタ博物館表示
Jaguar E-Type Roadster
The Jaguar E-Type Roadster was developed to be the vehicle that would carry on the legacy of the Jaguar sports car...
映画 ある愛の詩(日本公開1971年)
「愛とは決して後悔しないこと」でしたね!
当時非常に話題になりました。また後のテレビのロードショーで、
三浦友和、山口百恵、話題のカップルの吹き替えで、
これも当時話題になりました。
フランシス・レイの音楽も良かったなあ〜。Love Story - Originally sung by Andy Williams
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=8rT46hVQHIA]
出典:youtube Skating In Central Park(セントラルパークにて):サウンドトラック
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=XYiv0MWFl0Q]出典:youtube (ストーリー)
“富豪の息子と庶民の娘との悲恋物語。
裕福で代々ハーバード大学出身という家柄であるオリバーは、家柄違いのラドクリフ大学(ハーバード大学関連の女子大学)のジェニファーと恋に落ち、オリバーの父親の反対を押し切り結婚する。
2人が24歳になったある日、ジェニファーの命が白血病で残り少ないことが判明し闘病生活に入る。オリバーは高額の医療費を自分の父親に求めるが、彼女の病状は好転せず亡くなってしまう。
オリバーと和解した父親との短い会話の中で「愛とは決して後悔しないこと」(Love means never having to say you're sorry)という生前ジェニファーがオリバーに残した言葉をオリバーが語り、オリバーは2人の思い出の場所に行き、その場所を眺める。”
◎引用:wikipedia
光速エスパー(1967年8月〜)
イー、エス、パー で飛び立つところ、かっこよかったなあ!それから、いろんな機能が詰まっている、“強化服”と呼ばれる服も着てみたかった。 毎回楽しませていただきました。 あ、そうだ、エスパー役は、三ツ木清隆さんでしたね^^ストーリー
“ごく普通の中学生、東ヒカルは、両親と共に気球の遊覧飛行を楽しんでいる際に墜落事故に遭ったが、全員奇跡的に一命を取りとめた。事故の真相は、ギロン星人に母星を滅ぼされ、地球にたどりついた善意の宇宙人エスパー星人の夫妻の飛行音波の衝撃で気球が爆発して起こったもので、実はヒカルの両親はその際に死亡しているが、エスパー星人の夫妻がヒカルへの贖罪の意味も込めヒカルにも秘密で憑依しており、以後、家族として生活している。
そして、ギロン星人も地球にやってきたことを察知したエスパー星人らは、光波エネルギー研究所で強化服を開発中の朝川博士(ヒカルの叔父)に、ひらめきを模したテレパシーを送り、エスパー星の科学力を反映させて強化服を完成させる。
そして、強化服装着者に選ばれたヒカルは「光速エスパー」として、小鳥型サポートロボット「チカ」を介して常に共にあるエスパー星人の母と共に、ギロン星人の地球侵略作戦ほか数々の怪事件に挑戦していく。”
◎引用:wikipedia
75年式.いすゞベレット ジェミニ PF50型
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=ADWDTzm_jPc]
◎撮影場所 トヨタ博物館“1974年、ベレットの後継として当時の提携先ゼネラルモ-タース(GM)のグローバルカー(世界戦略車)構想に基づき、オペル・カデットをベースに開発された。姉妹車にはシボレー・シェベット、ポンティアック1000などがあり、ボディタイプはセダンとクーペの2種類があった。車名の「ジェミニ」は英語で「ふたご座」の意味。ベレットの後継車としての位置を明確にするため、1975年までは「ベレット・ジェミニ」と名乗った。”
◎引用:トヨタ博物館表示
ジュースの6本入りカートン
うーん、瓶ジュースを6本まとめてくれるカートンありましたね〜。
お店で買って、これに入れて帰るとき、
なんだかいい感じだったこと覚えてます。
このカートンは1968年頃のものです。
映画 ダラスの熱い日 (日本公開1974年)
劇場で見ました。
これは、ケネディ暗殺を仮説に基づいて映画化したもでしたね!
組織ぐるみの犯罪をオズワルドの単独犯に仕立てようとする陰謀劇。
実際の映像がかなり入っていたので、
ドキュメンタリーと勘違いしてしまうほど。。
これはゾクゾクしました!
ダラスの熱い日 - Wikipedia
http://dai.ly/x3uhs0j
出典:dailymotion FilmGorillas.com様
兼高かおる世界の旅(1959年12月〜1990年9月)
日曜日の朝、この番組を見ることが習慣でしたー。
30年間も放映された番組でした。
兼高かおるさん、今でもずっと動いてらっしゃるのかなあ?
ジャーナリストとして、アクティブでとても美しい方でしたよね〜。
女性として世界で初めて南極点に到達したことでも有名な方でした!“ジャーナリストの兼高かおるがディレクター、プロデューサー、レポーター、ナレーター、そして時にはカメラマンすべてを兼ね、世界各地160か国を取材した映像を放送していた。
放送開始当初のタイトルは『兼高かおる世界飛び歩き』( - とびあるき)だったが、1960年6月19日放送分をもって一旦中断し、同年9月20日放送分から放送を再開し、『兼高かおる世界の旅』に改題した。放送回数は『世界飛び歩き』を含めて、1586回。全行程は721万kmであり、地球を180周した計算になる。
単に映像を放映するだけではなく、ナレーションとして、兼高が芥川隆行に旅行の状況を語る。ただし『世界飛び歩き』時代は、芥川でなく別のTBSアナウンサーが、紹介する国の概要などをナレーションするなどその都度間に入り、それとは別に、兼高は旅先であったことなどの詳細をナレーションするという形で番組は進行していった。ちなみに、兼高のナレーション参加は番組開始当初から一貫して行われていた。「世界の旅」に鞍替えしてからも同様の構成で、特に変更は無かった。しかし、途中から落合と簡単な会話をしつつ番組が進行するという形に変化していった。そして、(再放送等で確認できる限りにおいて)42回目ごろには担当が芥川に変わり、両者の会話も非常に活発になって兼高自身も生き生きと語るようになり、この形式が、番組終了まで続いた。”
◎引用:wikipedia
71年式、ホンダ ベンリイ CB50
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=TyjblKBDQI8]◎撮影場所 ホンダコレクションホール“新設計のOHCエンジン、パイプフレーム、タコメーター、ロングタンク、メガフォンマフラーなどスポーツ性を強調したモデル。”
◎引用:ホンダコレクションホール表示
HONDA BENLY CB50
This sporty model featured a newly designed single overhead camshaft engine, tubular frame, tachometer, megaphone muffler and sleek tank.
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68年式、ヤマハ トレール 250 DT-1
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=rUdTAuu7Rl0]◎撮影場所 ホンダコレクションホール“「道なき道を行く」イメージをそのまま具現化するため、オンロードモデルから派生したスクランブラーを脱却。当時、国産車最長のストロークを誇ったセリアーニ式フロントフォーク、オートルーブ、5ポートピストンバルブエンジン、大径ブロックパターンタイヤ、エンジンガードなど、オフロード走行に焦点を絞ったテクノロジーや装備をふんだんに投入し、「トレール」という新しいジャンルを築き上げた。”
◎引用:ヤマハコミュニケーションプラザ表示
At a time when there was no clear distinction between on-road and off-road bikes, the DT-1 succeeded in creating a new category known...
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83年式、トヨタ カローラ レビン AE86型
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=j9aGMYEWhjk?rel=0]◎撮影場所 トヨタ博物館“FF(前輪駆動)に移行した5代目カローラのなかで、FR(後輪駆動)として存続し、軽快な走りで人気を博したスポーツモデル。
このモデルから、エンジンが従来の2T-GEU型から4A-GEU型に変更になり、出力が向上すると共に上級グレードにはパワーウインドウやパワーステアリングも装備された。
1987年の6代目ではレビンもFFとなったため、最後のFRレビンとして人気が高く、「ハチロク」と呼ばれて親しまれている。”
◎引用:トヨタ博物館表示
While other fifth-generation Corollas shifted to the FF (front-engine, front-wheel-drive) layout, the Corolla Levin AE86 retained the FR (front-engine, rear-wheel-drive) configuration, and its...
67年式、トヨタ2000GT
67年式、トヨタ2000GT。
トヨタ2000GTは、トヨタとヤマハの共同開発・生産。
こちらは、ヤマハに展示されているマシン。
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=SBWhHrh_HpM]◎撮影場所 ヤマハコミュニケーションプラザ
“流麗なフォルムと先進的なメカニズム。
日本の名車として今もその名を残すトヨタ2000GTは、トヨタ自動車とヤマハ発動機が共同開発・生産した。
6気筒DOHCエンジンは、ヤマハ発動機のチューンナップによって標準仕様で150psと当時としては驚異的な出力を発生。
レース仕様は200psに達し、1966年の鈴鹿1,000キロ耐久レースに優勝して信頼性の高さも実証した。
この2000GTの他にもトヨタ1600GT、トヨタ7を共同で開発し、それ以降は、エンジン部門の開発、生産においてトヨタ自動車とヤマハ発動機の連携が続いている。”
◎引用:ヤマハコミュニケーションプラザ表示
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