71年式、スズキ GT750
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=pNMRCObh86I]◎撮影場所 スズキ歴史館 “スズキ初の「ナナハン」で国産量販車初の水冷・2サイクル・3気筒エンジンを搭載。車体構造やブレーキにはGPレースで得た技術を投入。このパワフルなスペックにもかかわらず、静かでスムーズなエンジン特性を持ち、アメリカでは「ウォーターバッファロー」の名で愛されました。”
◎引用:スズキ歴史館表示
妖怪人間ベム(1968年10月〜)
妖怪人間ベム、
うん、このアニメも人気でしたね!ベム、ベラ、ベロ、妖怪人間♪
今でも耳にしっかり残ってますね!3本指で、「早く人間になりたーい」って遊んでました^^
https://dailymotion.com/video/x5isz6f
出典:dailymotionこの動画は、
1968年10月28日に放送された
『せむし男の人魂』です!“いつどこで誰が生み出したのか誰も知らない、人でも怪物でもない異形の生物…それが「ベム」「ベラ」「ベロ」の「妖怪人間」である。時には人々に迫害され、また時には友情を育みながら、いつか人間になれる日を夢見て彼らは世に仇なす悪と戦い続けるのだった。3人の合言葉は「早く人間になりたい!」”
◎引用:wikipedia
スター千一夜(1959年3月〜)
ありましたねえ〜スター千一夜
1959年3月〜1981年9月まで6417回放送とか、、
ついつい見てしまう番組でした。
物心ついた頃から、見てたので、
放送が終わった直後は何か違和感がありましたが、
もう番組終了から相当経ったんですね^^
https://dailymotion.com/video/xd3hng
ゲスト:ジュリー・アンドリュース(1977年)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=4mIXO72UByI]
出典:youtubeゲスト:解散前のフォーリーブス(1978年)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=LG5odf3b8Nc]
出典:youtube
65年式、ヤマハ YM1
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=PUgZ5a-6MLc]◎撮影場所 ヤマハコミュニケーションプラザ“1959年に登場したYDSシリーズの流れを汲む高性能スポーツモーターサイクルのフラッグシップモデル。高速道路時代に対応し、当時の2ストローク最大排気量305cc・2気筒エンジンに、分離給油機構「オートルーブ」、ツイン・キャブレター、5段変速機を装備。400mまでの発進加速14.7秒、最高速度160km/h以上という俊足を誇った。”
◎引用:ヤマハコミュニケーションプラザ
YM1
Carrying on the heritage of the YDS Series, the YM1 was the flagship model of Yamaha’s sport bikes and capable of higher speeds...
56年式、ダットサン セダン 113型
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=6xQOQX5zs6A]◎撮影場所 日産ヘリテージコレクション“ダットサンセダン(110型)は、日産自動車が戦後初めての新設計を行い、1955年(昭和30年)2月に発表した4人乗り乗用車です。搭載エンジンは、サイドバルブ式動弁機構をもった、直列4気筒・860ccのD-10型で最高出力は25馬力。これにフロアシフトタイプの4速トランスミッションを組み合わせ、最高速度は79km/hでした。ボディサイズは、全長3860×全幅1466×全高1540mmですが、車体幅は現在の軽自動車とほぼ同一値です。外装はすべてのボディパネルをプレス成形することで、これまでにないモダンなものとなり、同年12月に実施されたマイナーチェンジで型式を112型としたモデルでは、ハーモニカのような形状のフロントグリルが与えられ、毎日工業デザイン賞を受賞しました。この113型は、翌1956年(昭和31年)6月発表の改良が加えたモデルで、特徴的なハーモニカ型のフロントグリルはそのままに、変速方法をフロアシフトからコラムシフトへ変更しています。”
◎引用:日産ヘリテージコレクション表示
The "110", announced in January 1955, was the first postwar passenger vehicle to be completely designed from scratch. The truck (120) launched at...
キックの鬼 沢村忠
あの頃、沢村忠、凄かったですね!まさにヒーローでした。
『真空飛び膝蹴り』がいつでるかいつでるかってTV観戦してましたね〜漫画、アニメにもなりました、そう『キックの鬼』^^[youtube https://www.youtube.com/watch?v=ddAS8PdD-fw]
出典:youtube これは当時のTVアニメ、キックの鬼のOPです。
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=qaMkGeVu5cI]
出典:youtube
映画 フラッシュダンス(日本公開1983年)
フラッシュダンス、何もかもが刺激的でしたねー。
ジェニファー・ビールスの夢に向かってハングリー突き進む姿、
彼女自身の容姿と、ダンスの美しさが記憶に焼き付いています。
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=Ht1YznzzlsI]
出典:youtube HD Film Tributes 様(ストーリー)
“舞台はピッツバーグ。
プロのダンサーになるという夢を抱きながら、昼は製鉄所で溶接工、夜はキャバレーとなる近所のバー、マウビーズでセクシーなダンサーをしながらダンスの練習に励む18歳の女性、“アレックス”アレキサンドラ・オウエンズ(ジェニファー・ビールス)。倉庫を改装した家で犬のグラントと共に生活をしている。
アレックスは身寄りがなかったが、マウビーズの同僚ウェイトレスでプロ・スケーターを夢見るジェニー、ジェニーの恋人でコメディアン志望の即席料理人リッチーと親しくしていた。
ある夜、客の中に彼女が昼間働く製鉄所の二枚目社長ニック・ハーレイ(マイケル・ヌーリー)を見つける。彼はアレックスが従業員の1人であることに気付き、ニックは仕事中に彼女に言い寄るが、彼女は彼のくどき文句を最初ははねつける。また近所のストリップ・クラブのザンジバーのジョニー・C(リー・ヴィング)は彼女をスカウトしようとしていた。
良き相談相手である、リタイアしたバレリーナでダンスの師であるハンナ・ロング(リリア・スカラ)に会った後、アレックスはピッツバーグのダンサー養成所のオーディションを受けようと応募用紙をもらいに出かけるが、応募用紙にダンス経験や教育の有無を記入する欄があり、他の応募者達はバレエ等ダンスの基礎を習得した者ばかりで、独学でダンスの練習を続けてきたアレックスは自信を喪失し、そのまま帰ってきてしまう。
ある日リッチーとアレックスがマウビーズを出ると、ジョニー・Cとボディ・ガードのセシルに絡まれる。ニックが仲裁に入り、アレックスを助けたことで2人の関係が始まる。
ジェニーはスケートの競技会に出場するが2回転倒し敗北する。リッチーはコメディアンになるためピッツバーグを離れロサンゼルスに向かい、彼女は夢に挫折しジョニー・Cと付き合うようになりザンジバーでトップレスのダンサーになってしまう。
ニックが見知らぬ女性とバレエに来ているのを見つけ、アレックスは彼の家で暴れるが、その女性は彼の元妻ケティ(ベリンダ・バウアー)で慈善行事の会議のために会っただけであった。アレックスとニックは仲直りをし、ダンサー養成所のオーディションに再び挑戦する勇気を取り戻す。ニックはコネを使い、アレックスが合格するよう仕向ける。アレックスは自身の実力を試したかったためニックに激怒し、オーディションを受けることをやめた。友人が夢に挫折し、ハンナの突然の死を目の当たりにし自身の未来に失望しかけるが、もう一度オーディションを受けようと決意。
オーディションで最初はよろめくが最初からやり直し、ピッツバーグのストリートで見たブレークダンスを取り入れ学び練習してきた様々な表現の伝統にとらわれない独創的なダンスで挑む。初めは全く興味を示さない審査員であったが、予想もしないダンスに圧倒され見事合格を勝ち取る。会場から喜んで出てきたアレックスを待っていたのは、犬のグラントとバラの花束を抱えたニックだった。二人は抱き合い、喜びを分かち合うのだった。”
◎引用:wikipedia
82年式、ホンダ FT400
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=Sv0yUCIi4Kw]◎撮影場所 ホンダコレクションホール “アメリカ独自の、ダートトラックで活躍していたXLレーサーがモデル。 始動の楽なセルモーター始動エンジン、個性的デザインのタンクがマニアに注目された。”
◎引用:ホンダコレクションホール表示
HONDA FT400
This FT400 is modelled on the XL racers that competed on American dirt tracks. With convenient electric starting and sharp-looking tank...
3億円事件
いやあ、これほどまでに世の中を騒がせた、現金強奪事件は無かったですよねー。被害額2億9430万7500円は、現在の貨幣価値だと10億円を超えるとか。68年12月10日に発生し、75年12月10日に時効が成立。あの頃、何かにつけて、話題が絶えなかった。実行犯、いまどうしてるのだろうか??1968年(昭和43年)12月10日事件発生
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=VtoOZKtDEfY]出典:youtube 懐かしの毎日ニュース1975年(昭和50年)12月10日公訴時効が成立
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=qxH4nMj6VkE]出典:youtube 映画社中日事件の概要
“現金輸送車に積まれた東京芝浦電気(現・東芝)従業員のボーナス約3億円(2億9430万7500円)が、白バイまで用意した偽の白バイ隊員に奪われた事件である。被害金額3億円は現金強奪事件としては当時の最高金額であった。その後の現金強奪事件では金額こそ三億円事件よりも強奪金額が多い事件があるが、1968年(昭和43年)当時の3億円は、平成26年(2014年)の貨幣価値に直すと約10億円に当たり、貨幣価値においては現金強奪事件としては日本最高である。
三億円強奪事件ともいわれているが、事件のあった日本において、本件犯行は強盗罪には該当せず、窃盗罪となる。犯人が暴力に訴えず計略だけで強奪に成功していること、盗まれた3億円は日本の保険会社が支払った保険金により補填され事件の翌日には従業員にボーナスが支給されたこと、その保険会社もまた再保険をかけており日本以外の保険会社によるシンジケートに出再していたことから補填され、直接的に国内で金銭的損失を被った者がいなかったという認識から、及び被害金額2億9430万7500円の語呂から、「憎しみのない強盗」とも言われる。一方で、マスコミの報道被害を受け後年自殺した人物や、捜査の過労で殉職した警察官2名が存在する。
警視庁捜査において容疑者リストに載った人数は実に11万人、捜査した警察官延べ17万人、捜査費用は7年間で9億円以上が投じられる空前の大捜査となったが、1975年(昭和50年)12月10日、公訴時効が成立(時効期間7年)。1988年(昭和63年)12月10日、民事時効成立(時効期間20年)。日本犯罪史に名前を残す未解決事件となった。
この事件以来、日本では多額の現金輸送の危険性が考慮されるようになり、給料等の支給について金融機関の口座振込としたり、専門の訓練を積んだ警備員による現金輸送警備が増加した。 ”
◎引用:wikipedia事件の経緯
“1968年(昭和43年)12月6日、日本信託銀行(後の三菱UFJ信託銀行)国分寺支店長宛に脅迫状が届いた。翌7日午後5時までに指定の場所に300万円を女性行員に持ってこさせないと、支店長宅を爆破するというものであった。当日、警察官約50名が周辺に張り込んだが、犯人は現れなかった。
4日後、12月10日午前9時30分頃、日本信託銀行国分寺支店(現存せず)から東京芝浦電気(現・東芝)府中工場へ、工場従業員のボーナス約3億円、正確には2億9430万7500円の現金が入ったジュラルミンのトランク3個を、輸送中の現金輸送車(セドリック)が、府中刑務所裏の府中市栄町、学園通りと通称される通りに差し掛かった。
そこへ白バイ隊員に変装して擬装白バイに乗った犯人が、オートバイに被せていたと思われるシートを後方に引っ掛けた状態のまま現金輸送車を追いかけ、現金輸送車の前を塞ぐようにして停車した。
現金輸送車の運転手が窓を開け「どうしたのか」と聞くと、「貴方の銀行の巣鴨支店長宅が爆破され、この輸送車にもダイナマイトが仕掛けられているという連絡があったので調べさせてくれ」と言って、輸送車の車体下周りを捜索し始めた。
4日前に、支店長宅を爆破する旨の脅迫状が送り付けられていた事もあり、その場の雰囲気に銀行員たちは呑まれていた。犯人は、輸送車の車体下に潜り込み爆弾を捜すふりをして、隠し持っていた発炎筒に点火。「爆発するぞ! 早く逃げろ!」と銀行員を避難させた直後に輸送車を運転し、白バイをその場に残したまま逃走した。
この時銀行員は「警察官」が爆弾から遠ざけるために輸送車を退避させたと考え、「勇敢な人だ」と思ったという。しかし、路上に残った発炎筒が自然鎮火したのち、オートバイに詳しい輸送車運転手が残された白バイが偽物と気付いたことから、「警察官」は偽者であり現金強奪事件であることが早くも判明した。
9時50分に伊豆・小笠原を除く東京都全域に緊急配備が敷かれた。奇しくも、この日は毎年恒例の歳末特別警戒の初日であった。警視庁は要所で検問を実施したが、当初は自動車の乗換えを想定していなかった事もあり、当日中に犯人を逮捕することが出来無かった。 ”
◎引用:wikipedia
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86年式、日産 エクサ キャノピー タイプB
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=gDV2rSfj3SA]◎撮影場所 日産ヘリテージコレクション “1986年(昭和61年)5月にフルモデルチェンジした3代目パルサー(N13型)から、クーペボディのモデルだけが独立する形で、同年10月にデビューしたのが日産エクサ(EXA:KEN13型)です。オリジナルのパルサーとは異なり、リトラクタブルヘッドライトやTバールーフを備えたノッチバッククーペのボディスタイルだけでも、当時のヤング&エントリーユーザーの目を惹く存在でしたが、さらにリヤハッチ部分がワゴン形状となるキャノピーが用意されていたことも大きな話題を呼びました。日本では法規上認められませんでしたが、輸出されたアメリカでは脱着式のリヤハッチとキャノピーハッチがコンバート可能であり、Tバールーフの脱着とも併せて様々なスタイルを楽しめるクルマとして注目されました。エンジンは、120馬力のCA16DE型1598cc、直列4気筒DOHCが搭載されています。このクルマは、キャノピー仕様で専用アルミホイールを装備した豪華グレードのタイプBです。”
◎引用:日産ヘリテージコレクション表示
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59年式、キャデラック シリーズ62(U.S.A/GM)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=yOIWFHPVcRM]
◎撮影場所 東京MEGAWEBヒストリーガレージ“キャデラックとは、19世紀にデトロイトの町を開拓した人物の名前。その栄光の名前を持った車は、1902年の創業当時から高い品質がセールスポイントだった。1959年のモデルは、50年代のアメリカの高級デザインの典型と言われ、当時の豪華思考、未来志向が凝縮されている。パワーウィンドウが音もなく開閉できるなど、クオリティの高さも賞賛された。”
◎引用:東京MEGAWEBヒストリーガレージ表示
60年式、ヤマハ MF-1
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=yJQBB1O4R1g?rel=0]
◎撮影場所 ヤマハコミュニケーションプラザ “ヤマハ発動機初のモペットで、5年後に発売されベストセラービジネスバイクとなるメイトの原型ともなった。タンク一体式のモノコックフレーム、フロントサスペンションにはゴムブロックを圧縮したナイトハルト式、リアサスペンションにはゴムに包まれたコイルスプリングを圧縮したエリゴ式を採用するなど、良好な乗り心地が評価された。セルスターターも装備して、「誰にでも気軽に乗れる」モペットのイメージを定着させた。”
◎引用:ヤマハコミュニケーションプラザ
73年式、三菱 ランサー 1400GL
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=mPEzqwIe3ZE?rel=0]◎撮影場所 三菱オートギャラリー “ランサーは1973年2月に人間性の尊重を基本テーマとして世に送り出された大衆車です。ボデーは強固で安全なモノコック構造、1200ccから1600ccまで計12タイプの豊富なバリエーションを誇り、低公害型エンジン、チルトハンドル、コラブシブルステアリング、マスターバック付きディスクブレーキなどの機構が随所に盛り込まれていました。”
◎引用:三菱オートギャラリー表示
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