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映画 ベンハー(日本公開1960年)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=4hrbRDAOF4k]
出典:youtube初めて見た子供の頃、壮大なスケールと、あまりにも残酷なシーン、辛いシーン、人はこういう歴史を経てきたのかあと、痛みや、感動や、チャールトンヘストンってすげーとか、なんやら入り混じった複雑な思いを抱きながら、ど迫力のスクリーンを見ていたあのときの自分が思い出されます^^
アカデミー賞の史上最多受賞作品ストーリー
“紀元26年のエルサレム。イエス・キリストが厩で生誕して20数年後、イスラエルの王族の血を引く貴族ジュダ=ベン・ハー(チャールトン・ヘストン)は幼なじみのメッサラ(スティーヴン・ボイド)がローマ帝国司令官として任地エルサレムに戻ってきて、二人は再会を喜びあうが、やがて支配者側のメッサラと被支配者側のベン・ハーとで意見が分かれ、二人の間には亀裂が走る。
その頃新しい総督を迎えてローマ軍が行進しているさなかに、ベン・ハーの屋敷の瓦が崩落して新総督が重傷を負い、司令官メッサラはベン・ハーに総督暗殺を謀ったとして逮捕し、奴隷の身分に落として漕手刑(ガレー船の漕ぎ手とする極めて重い刑罰)を言い渡す。ベン・ハ―の母ミリアム (マーサ・スコット)と妹ティルザ (キャシー・オドネル) は牢に入れられて家族は離散する。そして囚人としてガレー船に送られる道中、ベン・ハーは乾きに苦しめられ倒れるが、その時一人の男に水を飲ませてもらい、不思議なことに力を得て窮地を脱する。
ガレー船でベン・ハーは漕手として3年間を過ごすが、メッサラへの恨みが彼の全身を貫いていた。そしてたまたまマケドニア艦隊との海戦で沈没する旗艦から総司令官アリウス(ジャック・ホーキンス)を救出するという殊勲を上げ、漕手刑を赦免されてアリウスの養子となり、ローマの市民権を得て二輪戦車競走の騎手として注目されるまでになる。しかしエルサレムの母と妹の安否が分からず、ベン・ハーはアリウスのもとを去ってエルサレムに向かう。この時に救世主が現れたとして探し歩く老人を知り、また途中で族長イルデリム(ヒュー・グリフィス)と知り合い、彼の助力を得ながらエルサレムに実母と妹を探しに戻った。
しかしもとの邸宅に戻ると家臣だったサイモニデス(サム・ジャッフェ)とその娘エスター(ハイヤ・ハラリート)がいたが、父サイモニデスはベン・ハーの逮捕の折りに投獄され拷問を受けて半身不随の身体にされていた。そしてエスターから母も妹も亡くなったと聞かされて復讐の鬼となった。だが実はエスターは母と妹が生きていることを知っていた。ベン・ハーがローマで貴族となった知らせを聞いたエルサレムの役人が牢の奥深くに閉じ込められた母と妹を突然出獄させたのだが、この時二人ともライ病に罹り、病人だけの隔離場所である洞穴に行くとエスターに伝えて息子には死んだと言うように嘆願されていた。エスターはその後も隔離場所に食事を運び二人を援助していた。この時エスターは心の拠り所を噂で聴いたイエスに委ねていた。
そうとは知らないベン・ハーは、仇敵メッサラと二輪戦車競走で相まみえ、族長イルデリムが集めて入念に調教した優秀な4頭の馬を操って円形競争場で激しい争いをメッサラと繰り広げた。そしてメッサラとの死闘を制したベン・ハーだったが、その直後に瀕死で虫の息のメッサラから母と妹がライ病に侵されながらも生きていることを知る。そして密かにエスターの後を追って洞穴で生きながらえる母と妹に再会した。ベン・ハーは家族や親友を不幸にしたローマを憎み、ローマの市民権を放棄する。悩むベン・ハーにエスターは救世主と言われるようになったイエスの話をするがいっこうに聞く耳を持たない。やがてイエスが裁判にかけられて磔にされるという話を聞いて、すがる思いで母と妹を連れて街に繰り出すが十字架を背負ったイエスを見て、あの時に水を恵み自分を救ってくれた人であったことにベン・ハーは愕然とする。母と妹を帰らせてベン・ハーは後を追いかけ、そして倒れたイエスに今度は自ら水を飲ませたが役人に蹴られ、やがてゴルゴダの丘でイエスは磔の刑に処せられた。その直後に俄かに天から雷雨と大風が舞い、イエスの流した血が大地を流れていった。
絶望したベン・ハーは重い心で邸宅に戻った。しかしエスターは微笑みながら彼を迎えた。ふと上を見上げると母と妹が元の姿に戻っていた。あの雷雨の中で洞穴に退避した母と妹は急な激痛の後に病が癒えていたのだった。信じられないベン・ハーは母と妹を抱きしめながら喜びを分かち合った。”
◎引用:wikipedia
☆番外編(クラシック)37年(昭和12年)式.SS ジャガー100(U.K./Jaguar)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=MYD4X4aiWE0]◎撮影場所 トヨタ博物館 “低く精桿なスタイルと、広めのトレッドを包み込むように張り出したウィング状のフェンダーが特徴的なSS100は、戦後ジャガースポーツの基礎を築き上げたばかりか、その後のスポーツカーに大きな影響を与えた。時速100マイルの高性能スポーツカーが、ベントレー3 1/2リッターの1380ポンドの約1/3にあたる395ポンドで買えるとしたら人々がそれを選ぶのは当然のことである。コストとスタイリングと性能をみごとにバランスさせたSS100は、現代のクルマづくりにも通じるものがある。”
◎引用:トヨタ博物館表示
Easily recognizable for its athletic, low-slung styling and wing-like fenders that embrace the tires, the SS 100 not only was the forefather...
TECH AND GADGETS
ブラザー ピコワード(日本語パーソナルライター)1984年
みなさんワープロの黎明期って覚えてます?
話した言葉を文章に変えたり、録音したテープを文章化したり、、みたいなそんな凄いことをやってくれるとてつもなく高価なワードプロセッッサー、つまりワープロが、80年代に入った頃、ぼちぼち登場し始めた頃を記憶しています。
ただし、これはとてつもなく高額だったので、個人が持つなんて考えられませんでした。
そんなとき、私の前に突如現れたのが、このブラザーから出た『ピコワード』でした。
ワープロとは呼ばず、『日本語パーソナルライター』と呼んでましたね!
即買いでした^^
ただし、今のワープロの機能とは程遠く、キーの配列が日本語入力の場合は五十音配列になってて打ち辛く、変換機能もまだまだで、文字のドットの数も、16×16ドットと、それはそれは美しくない文字でした(笑)
それでも、当時としては、もの凄い先進マシンを持ってる感じでした。
なんだけど、あまりの使いにくさに、
シャープの『X1ターボ』っていう、ディスプレイがテレビも見れるという世に出始めたばかりのパソコンを買って(一式で60万円超えてたなあ月賦で買いました^^)、
ワープロ代わりにしてたことを覚えてます^^画像出典元:私的電脳小物遊戯 様
TRAVEL GUIDES
FASHION AND TRENDS
71年式、いすゞ 117 クーペ PA90
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=WCCWPbs0OWQ?rel=0]
◎撮影場所 東京MEGAWEBヒストリーガレージ “美しいスタイリングでファンを魅了した高級ツーリングカー、いすゞ117クーペ。デザインを担当したのは、当時カロッツエリア・ギア社の若手有望デザイナーであったジョルジオ・ジウジアーロ。木目仕上げのインストルメントパネルをはじめとした内装も高級感にあふれ、その性能とあいまって上級オーナーやマニアに受け入れられた。”
◎引用:東京MEGAWEB
54年式、アドラー MB250(Germany/ADLER)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=NVnsbzDvZ3A]◎撮影場所 トヨタ博物館 “ヤマハ、スズキ、ポインター等のエンジンに影響を与えた、'50年代の代表的な高性能250モデル。ホンダもドリームME、ベンリイJCのフロントフォークの参考とした。”
◎引用:ホンダコレクションホール
ADLER MB250
Had a significant influence on engines developed by Yamaha, Suzuki, Pointer, and others. The premier high-performance motorcycle of the Fifties. Honda studied...
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LATEST REVIEWS
三波伸介さんの魅力溢れる「お笑いオンステージ」NHK(1972年4月〜)
子どもから親のイメージを聞きながら似顔絵を描く、という減点ファミリーが大好きでした。
毎回、笑わせてくれましたし、とても絵心のある方でしたね^^
番組は10年間の長寿番組。
こんな番組今ではないですよね、もっと続いてほしかったぁ。。。
三波伸介さんは、1982年12月、52歳没。ご冥福をお祈りいたします。
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