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アニメ 赤胴鈴之助(1972年版)
赤胴鈴之助、57年〜59年頃に、ラジオドラマ、映画、テレビドラマが製作されましたが、このアニメは1972年4月〜の放映でした。キャラクターも随分、当時のアニメ風変化してましたねー。(オープニング、エンディング)
https://dailymotion.com/video/xgj8k4
ストーリー
アニメ版では、江戸で名高い北辰一刀流・千葉周作の千葉道場に入門した赤胴鈴之助の成長と、周囲で彼を温かく見守る周作やその娘・さゆりたちの姿を描いてました。
WORD CUP 2016
ようかいけむり
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=9-DX2tENA_c?rel=0]わお!まだこんなもの売ってました。
指にべたべたするもの着けて、煙出すやつ。
昔の駄菓子屋おもちゃ、今でも結構現役なんですね^ ^
62年式、ホンダ スポーツ360
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=C3oWKYCrHDU?rel=0&controls=0&showinfo=0]
◎撮影場所 ホンダコレクションホール “Hondaが四輪進出を目指して開発した軽スポーツカー。第9回全日本自動車ショーで初めて一般公開されたが、軽自動車規格では海外進出が難しいなどの理由から市販化を断念。2012年にホンダ技研研究所の正式なプロジェクトが発足し、S600のボディの一部やT360のエンジン、スポーツ360のオリジナルパーツなどを使用して復刻された。”
◎引用:ホンダコレクションホール表示
ママとあそぼう!ピンポンパン(1966年10月〜)
ぎゃあ、『ママとあそぼう!ピンポンパン』1966年スタート。ということは1960年〜63年生まれくらいの子供たち(今はいいおじさん、おばさん^^)からこの番組を見始めた感じですね!やっぱり記憶に強く残ってるのはおねえさんかなあ?^^
おねえさんと言えば、
初代:渡辺直子(1966年 - 1971年)。
2代目:石毛恭子(1971年 - 1975年)。
3代目:酒井ゆきえ(1975年 - 1979年)。
が記憶にありますが、
4代目(大野かおり)、5代目(井上佳子)もいらっしゃったようです^^
https://dailymotion.com/video/x5h54qy
出典:dailymotion初代:渡辺直子おねえさん(1966年 - 1971年)・1946年生まれ[youtube https://www.youtube.com/watch?v=5C5Nf15RS3w]
出典:youtube2代目おねえさん:石毛恭子(1971年 - 1975年)・1950年生まれ[youtube https://www.youtube.com/watch?v=yHmHJeIgOd8]
出典:youtube3代目おねえさん:酒井ゆきえ(1975年 -...
WRC Rally Cup
73年式、ホンダ ライフ ピックアップ
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=e6OiMaj19V4]◎撮影場所 ホンダコレクションホール “ライフステップバンをベースに、荷物の積み降ろしに楽な低い荷台と乗り降りのしやすさが特徴。小口輸送の集配業務に対応し開発された新タイプの商用車。 ※展示車と諸元はスーパーDXタイプ ”
◎引用:ホンダコレクションホール表示
HONDA LIFE PICK UP
Based on the Life Step Van, it features a lower...
レインボー戦隊ロビン(1966年4月〜)
(ストーリー)
“パルタ星(原作コミックではパルダ星)人と地球人の間に生まれた少年ロビンと6体のロボットたち・レインボー戦隊が主役。第1話「怪星人現わる」から第26話「パルタ星最後の日」までの、彼らがパルタ星人の地球侵略に立ち向かうシリーズと、パルタ星との戦い以降の第27話から第48話までの、一話完結でのサスペンス・コメディ・活劇等々のバラエティに富んだ内容とに分かれる。逆銀河系にあるパルタ星は爆発四散する運命にあることが判り、パルタ皇帝は地球を武力で征服して移住しようとし、まずスパイとして科学者のポルトを送り込んだ。彼は地球人に正体を知られ、追われて負傷するが、敵味方の区別無く助けてくれた地球人すみ子の優しさに触れ、パルタ星を裏切った。そのためすみ子と共にパルタ星に連行されて監禁されるが、その前に彼は、地球防衛のために密かに6体のロボットを作り、すみ子との間に生まれた男の子をロボットたちに託していた。男の子はロボットたちに、中でもすみ子の優しさを体現させた看護婦ロボットのリリに大切に育てられ、正義感の強さと優しさを併せ持つ少年に成長する。そしてパルタ星のXデーが2年後に迫った12歳の時、己の使命を知った少年は6体のロボットを率いてパルタ星の侵略から地球を守るために戦う。この少年がロビンであり、彼と6体のロボットがレインボー戦隊である。ロビンとレインボー戦隊の苦しい戦いの末、パルタ皇帝は倒され、罪の無い多くのパルタ星人は別の星に平和的に移住し、ロビンの父母も無事に救出されて大団円となった。しかし、地球と宇宙の平和を乱す者は後を絶たず、レインボー戦隊はその後も様々な事件に立ち向かっていく。”
◎引用:wikipedia
映画 ベンハー(日本公開1960年)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=4hrbRDAOF4k]
出典:youtube初めて見た子供の頃、壮大なスケールと、あまりにも残酷なシーン、辛いシーン、人はこういう歴史を経てきたのかあと、痛みや、感動や、チャールトンヘストンってすげーとか、なんやら入り混じった複雑な思いを抱きながら、ど迫力のスクリーンを見ていたあのときの自分が思い出されます^^
アカデミー賞の史上最多受賞作品ストーリー
“紀元26年のエルサレム。イエス・キリストが厩で生誕して20数年後、イスラエルの王族の血を引く貴族ジュダ=ベン・ハー(チャールトン・ヘストン)は幼なじみのメッサラ(スティーヴン・ボイド)がローマ帝国司令官として任地エルサレムに戻ってきて、二人は再会を喜びあうが、やがて支配者側のメッサラと被支配者側のベン・ハーとで意見が分かれ、二人の間には亀裂が走る。
その頃新しい総督を迎えてローマ軍が行進しているさなかに、ベン・ハーの屋敷の瓦が崩落して新総督が重傷を負い、司令官メッサラはベン・ハーに総督暗殺を謀ったとして逮捕し、奴隷の身分に落として漕手刑(ガレー船の漕ぎ手とする極めて重い刑罰)を言い渡す。ベン・ハ―の母ミリアム (マーサ・スコット)と妹ティルザ (キャシー・オドネル) は牢に入れられて家族は離散する。そして囚人としてガレー船に送られる道中、ベン・ハーは乾きに苦しめられ倒れるが、その時一人の男に水を飲ませてもらい、不思議なことに力を得て窮地を脱する。
ガレー船でベン・ハーは漕手として3年間を過ごすが、メッサラへの恨みが彼の全身を貫いていた。そしてたまたまマケドニア艦隊との海戦で沈没する旗艦から総司令官アリウス(ジャック・ホーキンス)を救出するという殊勲を上げ、漕手刑を赦免されてアリウスの養子となり、ローマの市民権を得て二輪戦車競走の騎手として注目されるまでになる。しかしエルサレムの母と妹の安否が分からず、ベン・ハーはアリウスのもとを去ってエルサレムに向かう。この時に救世主が現れたとして探し歩く老人を知り、また途中で族長イルデリム(ヒュー・グリフィス)と知り合い、彼の助力を得ながらエルサレムに実母と妹を探しに戻った。
しかしもとの邸宅に戻ると家臣だったサイモニデス(サム・ジャッフェ)とその娘エスター(ハイヤ・ハラリート)がいたが、父サイモニデスはベン・ハーの逮捕の折りに投獄され拷問を受けて半身不随の身体にされていた。そしてエスターから母も妹も亡くなったと聞かされて復讐の鬼となった。だが実はエスターは母と妹が生きていることを知っていた。ベン・ハーがローマで貴族となった知らせを聞いたエルサレムの役人が牢の奥深くに閉じ込められた母と妹を突然出獄させたのだが、この時二人ともライ病に罹り、病人だけの隔離場所である洞穴に行くとエスターに伝えて息子には死んだと言うように嘆願されていた。エスターはその後も隔離場所に食事を運び二人を援助していた。この時エスターは心の拠り所を噂で聴いたイエスに委ねていた。
そうとは知らないベン・ハーは、仇敵メッサラと二輪戦車競走で相まみえ、族長イルデリムが集めて入念に調教した優秀な4頭の馬を操って円形競争場で激しい争いをメッサラと繰り広げた。そしてメッサラとの死闘を制したベン・ハーだったが、その直後に瀕死で虫の息のメッサラから母と妹がライ病に侵されながらも生きていることを知る。そして密かにエスターの後を追って洞穴で生きながらえる母と妹に再会した。ベン・ハーは家族や親友を不幸にしたローマを憎み、ローマの市民権を放棄する。悩むベン・ハーにエスターは救世主と言われるようになったイエスの話をするがいっこうに聞く耳を持たない。やがてイエスが裁判にかけられて磔にされるという話を聞いて、すがる思いで母と妹を連れて街に繰り出すが十字架を背負ったイエスを見て、あの時に水を恵み自分を救ってくれた人であったことにベン・ハーは愕然とする。母と妹を帰らせてベン・ハーは後を追いかけ、そして倒れたイエスに今度は自ら水を飲ませたが役人に蹴られ、やがてゴルゴダの丘でイエスは磔の刑に処せられた。その直後に俄かに天から雷雨と大風が舞い、イエスの流した血が大地を流れていった。
絶望したベン・ハーは重い心で邸宅に戻った。しかしエスターは微笑みながら彼を迎えた。ふと上を見上げると母と妹が元の姿に戻っていた。あの雷雨の中で洞穴に退避した母と妹は急な激痛の後に病が癒えていたのだった。信じられないベン・ハーは母と妹を抱きしめながら喜びを分かち合った。”
◎引用:wikipedia
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HEALTH & FITNESS
CYCLING TOUR
森永チョコレートボール
これも懐かしい!
宇宙少年ソランのチャッピーを描いた、65年発売の森永チョコレートボール。
キョロちゃんの前のパッケージですね^^
出典:チョコボールHISTORY様
71年式、スズキ GT750
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=pNMRCObh86I]◎撮影場所 スズキ歴史館 “スズキ初の「ナナハン」で国産量販車初の水冷・2サイクル・3気筒エンジンを搭載。車体構造やブレーキにはGPレースで得た技術を投入。このパワフルなスペックにもかかわらず、静かでスムーズなエンジン特性を持ち、アメリカでは「ウォーターバッファロー」の名で愛されました。”
◎引用:スズキ歴史館表示
77年式、日産 フェアレディZ-L S31
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=1T2xlqRLmAI?rel=0]
◎出典: 旧車パラダイス “初代フェアレディZ(S30型)は、オープンボディの先代「フェアレディ」に替わり、1969年(昭和44年)に誕生しました。エンジンは直列6気筒、SUツインキャブレターを装備したOHCのL20型と、ソレックスツインチョークキャブレターを3基搭載したDOHCのS20型がありました(S20型は1973年に廃止)。1976年(昭和51年)1月には、昭和51年排出ガス規制に対応するため、L20型エンジンはSUツインキャブレターを電子制御式燃料噴射装置に改良したL20E型に変更され、型式もS31型となりました。このクルマは、1977年式のS31型Z-Lです。Z-Lは、S30型系に設定されたグレード名で、装備を充実させた上級グレードです。”
◎引用:日産ヘリテージコレクション表示
サクマドロップス
うん、懐かしい。
思い起こせば、子供の頃はいつもこの缶入りのサクマドロップスが傍にあったような気がする。
ずっとこの缶を見ていると、幼き頃の目線の映像が次から次へと浮かび上がってくる。。^^
ただ!
このドロップスについて探し物をしていると、
“サクマ”と “佐久間”の2つの会社があることがわかりました^^
“佐久間”の方には『サクマ式』、と大きく表示してあるようです。
そのあたりのところ、wikipediaに記載されているのでどうぞご覧ください^^
サクマ式ドロップス - Wikipedia
画像は、どちらも昭和30年代の缶です。
54年式、アドラー MB250(Germany/ADLER)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=NVnsbzDvZ3A]◎撮影場所 トヨタ博物館 “ヤマハ、スズキ、ポインター等のエンジンに影響を与えた、'50年代の代表的な高性能250モデル。ホンダもドリームME、ベンリイJCのフロントフォークの参考とした。”
◎引用:ホンダコレクションホール
ADLER MB250
Had a significant influence on engines developed by Yamaha, Suzuki, Pointer, and others. The premier high-performance motorcycle of the Fifties. Honda studied...
TENNIS
71年式、ホンダ ライフ
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=JMdC97jgLBo?rel=0&controls=0&showinfo=0]
◎撮影場所 ホンダコレクションホール “時代のニーズにあわせた、N360の後継車。水冷エンジンを搭載。標準30PSに加え、ツーリング36PS仕様も設定。2ドア、4ドアとワゴンがあった。 ※展示車・諸元は4ドア・デラックス、4速マニュアル車 ”
◎引用:ホンダコレクションホール
HONDA LIFE
Successor to the N360, it met the needs of modern driving. Powered by a water-cooled engine producing 30PS, it was also...
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三波伸介さんの魅力溢れる「お笑いオンステージ」NHK(1972年4月〜)
子どもから親のイメージを聞きながら似顔絵を描く、という減点ファミリーが大好きでした。
毎回、笑わせてくれましたし、とても絵心のある方でしたね^^
番組は10年間の長寿番組。
こんな番組今ではないですよね、もっと続いてほしかったぁ。。。
三波伸介さんは、1982年12月、52歳没。ご冥福をお祈りいたします。
アリナミンAのCM・鍛えれば全身バネになる(1981年)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=QC3jINUqsFk?rel=0&controls=0&showinfo=0]
出典:youtube1981年、アリナミンAのCM。俳優名高達郎さんが挑戦する「超人シリーズ」の中の、物凄いマサイ族のジャンプ、こりゃ、トンんでもないジャンプ力でしたねー。
72年式、カワサキ Z1・900 Super Four
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=wK2Z4-nd1q0]◎撮影場所 カワサキワールド世界のロードスポーツの潮流を一変させた、当時カワサキが持つ技術の水を集めて生み出されたモーターサイクル。レーサーやごく少数のロードスポーツだけのメカニズムだった並列4気筒DOHC8バルブエンジンを、世界で初めて大量生産車に投入。この903㎥のエンジンは、世界最速であっただけでなく、信頼性や耐久性も他を圧倒した。流れるようなラインを描く4本のマフラーも特徴的で、「スリム、セクシー、スリーク」を合言葉にしたデザインは高い評価を得た。メイン市場であった北米をはじめ、、ヨーロッパでも記録的な大ヒットとなり、レースも活躍。Zシリーズの元祖であり、現在も名車として名高い。
◎引用:カワサキワールド表示
74年式、カワサキ H2(MACH Ⅳ)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=GSgHgwbK-Oo]◎撮影場所 カワサキワールド500c㎥のH1マッハIIIで築いた大型車への布石をさらに強化すべく、1971年、750c㎥クラスにH2 マッハⅣが投入された。最高出力74馬力/6,800rpmのパワフルなエンジンを搭載し、0−400m加速12秒、最高速度203km/hと、当時の市販車最速を誇った。4サイクルモデルに移行しつつある時代の中にあって、圧倒的なパワーと独特なスタイル、スパルタンなマシン特性で異彩を放つマシンであった。
◎引用:カワサキワールド表示
早春譜
『早春譜』。美しい曲ですね。長野県の安曇野あたりの早春の情景をうたった歌とか。。今聞くと、日本人に生まれてよかったなあ〜って感じてしまいます。この曲の発表は、1913年(大正2年)。心に染み渡る歌ですね〜。[youtube https://www.youtube.com/watch?v=1ucn5p19NAw&w=560&h=315]
出典:youtube◎作詞:吉丸一昌
◎作曲:中田 章
春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず
氷解け去り 葦は角ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日も昨日も 雪の空
今日も昨日も 雪の空
春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急かるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か
映画 青い体験(1973年)
このシリーズ、大好きでした。。 思春期の少年達に丁度良い感じのお色気体験を、淡〜い思い出として心に残してくれました。日本では、テレビのロードショーで何度か放送された記憶があります。青い体験、続・青い体験、よかったなあ。。
“呉服商を営むイグナツィオ(イニャツィオ)とその一家は妻と3人の男の子たちの5人暮し。しかし、ある夜妻が急死してしまう。 突然の出来事に戸惑うのもつかの間、イグナツィオたちには妻の葬儀と親戚縁者たちへの応対に忙しい一日が始まった。漸くのことで埋葬を終え、自宅に戻って来たイグナツィオ一家。それを出迎えたのは見ず知らずの女性アンジェラであった。 聞くとアンジェラは妻が生前申し込んでいた家政婦であり、今日斡旋所から派遣されて来たのだという。家族を失って気落ちしていた一家の人々は、美人で気立てのいいアンジェラをすっかり気に入ってしまう。アンジェラもまた一家を励まそうと精力的に尽くした。 やがて、その姿に感心したイグナツィオはアンジェラに妻になってもらおうと結婚を申し込むが、一家の次男ニーノもまたアンジェラには特別な感情を抱いていた。”
◎引用:wikipedia
日立パディスコ(1975年)
ワイヤレスマイクが多機能で、
本体に挿入する、
いや本体から飛び出すタイプが流行ってましたね。
私は、ナショナルのマック持ってましたが、
75年夏、これが出た時、
意味もなく、やられたあ。。
と、思いました^^
不二家ハートチョコレートのCM(1974年)
https://dailymotion.com/video/x5ubitj
出典:dailymotion不二家ハートチョコレートの1974年のCM。懐かしいなあ^^
バレンタインデーがだんだん市民権を得て、
学校でも女子が男子にチョコレートを渡す行為がよく見られるようになった頃だったので、
このCMは印象に残ってますねー!
「恋はハートで ハートで迫るのよ〜」歌は山下達郎さんでした^^
Sweet Agnes(高中正義)1977年
夏になると、
だんだか無性に、この高中正義さんの、SWEET AGNESを聴きたくなります!
とてつもなく暑い、あの夏の日、そしてキンキンに効かせたカークーラー、
あああ、あの頃がよみがえる^^[youtube https://www.youtube.com/watch?v=DBQkyBmuxus]
出典:youtube