柳家金語楼
柳家金語楼さん、物心ついたら、いつも身近に感じてたやさしいお祖父さんでしたあ、
それほどよくテレビに登場してたんでしょうね!^^
“初代柳家 金語楼(やなぎや きんごろう 1901年2月28日 - 1972年10月22日)は、喜劇俳優、落語家、落語作家・脚本家(筆名・有崎勉)、発明家、陶芸家。本名・山下敬太郎(やました けいたろう)。落語家時代の出囃子は『琉球節』。禿頭を売り物にし、エノケン・ロッパと並ぶ三大喜劇人として知られた。戦前は主に吉本興業(東京吉本)に所属し、戦後は自ら「金星プロ」を立ち上げた。旧字体による芸名表記は柳家金語樓。”
◎引用:wikipedia
1972年10月22日(満71歳没)。
1961年、ふるーいNHKの『ジェスチャー』の動画がありました^^
http://dai.ly/x4x42l3
出典:dailymotion
73年式、日産スカイライン『幻のGT-R』KPGC110
生産台数僅か197台。73年式、4代目スカイライン、『幻のGT-R』
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=U2Z2wGrqnpc]◎撮影場所 日産ヘリテージコレクション“「ケンとメリーのスカイライン」というキャッチフレーズで大人気となった4代目スカイライン。この4代目に設定された2000GT-Rは、ツーリングカーレースへの参加がなかったことに加え、市販車の販売も1973年(昭和48年)1月からわずか4か月という短期間で終了し、総数で200台足らずしか生産されなかったこともあり、今もって「幻のGT-R」と呼ばれています。吸気側エアダクトの装着や4輪ディスクブレーキ化など、先代GT-Rより進化したメカニズム面でも注目を浴びました。また、通常のスカイラインシリーズとは異なるメッシュタイプのフロントグリル、ワイドタイヤを収めるためにフロント側にも追加されたオーバーフェンダー、当時としては異例のリヤスポイラーも標準装備としたエクステリアも注目を浴びましたが、当時でさえ、その姿を路上で見かけるチャンスは、めったになかったのです。”
◎引用:日産ヘリテージコレクション表示
Skyline H/T 2000GT-R KPGC110
The fourth-generation Skyline, the C110 (nickname: Ken & Mary), was launched in November 1972, but the GT-R version was launched...
60年式.BMWイセッタ(Germany/BMW)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=Z0Vu5XxTHdM]
◎撮影場所 東京MEGAWEBヒストリーガレージ “第二次世界大戦で工場などの多くを失い倒産寸前の状態にあったドイツのBMWが、イタリアのイソ社とライセンス生産契約を結び、独自の改良を加えて販売。ドアはフロントの一枚だけの二人乗りで、三輪と四輪のモデルが製作された。ガラス部分が大きく、シャボン玉に似た丸いカタチから「バブルカー」の愛称で親しまれたユニークなクルマ。”
◎引用:東京MEGAWEBヒストリーガレージ
ベルトクイズQ&Q(1969年6月〜)
これ好きだったなあ、初代の増田さんのときからずーっと見た。
でも、月〜金の正午の番組なのに、どうして見てたんだろ。うん?学校行ってない?
いやあそんなことはない、なんで見てたんだろ?(笑)
わかった!単純。。夏休み とかだ。。^^
この番組、69年6月〜80年2月迄放映されたんですね!長寿番組だあ!!
この番組の動画を探しましたが、
良いものがなかなか。。。。
でも、なんと、あの『時間ですよ』の番組の中で、
この番組に、はまさん(悠木千帆)が出演した設定になっていて、その動画をお借りしました^^
https://dailymotion.com/video/x2l0e8h
アサヒ靴、ナイロンスクール1.2.3シューズ
1965年(昭和40年)の漫画シューズ。
左から、◎狼少年ケン、◎エイトマン、◎風のフジ丸、◎プリンセス。
『ナイロンスクール ワン、ツー、スリーシューズ』という商品名でアサヒ靴が販売してたのですね!
販売価格は、
14.0cm〜15.5cm 290円。
16.5cm〜18.0cm 320円。
19.0cm〜20.0cm 350円。
55年式、ヤマハ YA-1
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=nfjuLYcxkiU]
◎撮影場所 ヤマハコミュニケーションプラザ
“ヤマハ発動機の製品第1号。黒一色で重厚なデザインが常識だった当時、栗茶色のスリムな車体から、 “赤トンボ”の愛称で呼ばれた。また、1955年7月の第3回富士登山レースや同年11月の第1回浅間火山(全日本オートバイ耐久レースで上位を独占し、走行性能の高さもアピール。大卒男子初任給が平均1万780円の時代、13万8000円という価格にも関わらず、3年間で約1万1000台が生産された。”
◎引用:ヤマハコミュニケーションプラザ表示
59年式、日産 オースチン A50型
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=BVTYTxqXxnY]◎撮影場所 トヨタ博物館“日産自動車がイギリスのオースチン社との技術提携により国内生産を行った。当時の国産車では比較にならない快適な乗り心地と優れた走行性を備え、高い人気を誇った。”
◎引用:トヨタ博物館表示
67年式、マツダ コスモスポーツ
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=PhCWKsrB8pw?rel=0&controls=0&showinfo=0]◎撮影場所 マツダミュージアム “1967年、世界初の2ローター・ロータリーエンジンを搭載したコスモスポーツは世界中の注目を集めて登場しました。高速道路を利用した長距離ドライブも盛んとなり、自動車は人々の生活を幅を広げる道具となったのです。”
◎引用:マツダミュージアム表示
59年式、キャデラック シリーズ62(U.S.A/GM)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=yOIWFHPVcRM]
◎撮影場所 東京MEGAWEBヒストリーガレージ“キャデラックとは、19世紀にデトロイトの町を開拓した人物の名前。その栄光の名前を持った車は、1902年の創業当時から高い品質がセールスポイントだった。1959年のモデルは、50年代のアメリカの高級デザインの典型と言われ、当時の豪華思考、未来志向が凝縮されている。パワーウィンドウが音もなく開閉できるなど、クオリティの高さも賞賛された。”
◎引用:東京MEGAWEBヒストリーガレージ表示
51年式.ジャガー XK120(U.K./Jaguar)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=Q_o1eULCKeU?rel=0]
◎撮影場所 トヨタ博物館 “第2次世界大戦前のSSジャガー100の後継モデルとして市場に投入された小型スポーツカーで、車名の「XK120」はエンジン型式名XKと公称最高速度120マイルを意味する。美しいボディスタイルと高性能にもかかわらず、ライバル車に比べて半額程度の低価格でセンセーションを巻き起こし、ジャガーの国際的名声を確立した。1948年から1954年まで生産され、そのほとんどがアメリカに輸出された。 ”
◎引用:トヨタ博物館表示