年間アーカイブ 2016
76年式、スズキ RM250
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=Y_pk0TUoj7c]◎撮影場所 スズキ歴史館 “RM250は、深く前傾した窒素ガス封入式ショックアブソーバーをフレーム中央部に装着し、ラフロードでの操縦性を高めました。パワーリード機構採用のエンジンはスロットルレスポンスが良好でした。スズキのオフロード車の代表として、現在もラインナップされているロングセラーマシーンです。”
◎引用:スズキ歴史館表示
59年式、オースチンA50 ケンブリッジサルーン
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=pPbwcksnYUE?rel=0&controls=0&showinfo=0]◎撮影場所 日産ヘリテージコレクション“戦後、乗用車の生産が全面的に解除されたのは1949年(昭和24年)10月のことでした。時間的にはわずか4年の中断とはいえ、日本の自動車産業にとっては大きな痛手となりました。そこで、政府は将来を見据えて海外メーカーとの技術提携を結び、生産や設備に関する技術やノウハウを吸収することを奨励しました。日産は、1952(昭和27)年に英国のオースチン社と技術提携し、年間 2000台分の乗用車部品を輸入して日本での組立を開始します。1953(昭和28)年のA40型組立開始当初の国産部品はガラス・バッテリー・タイヤなどわずかでしたが、徐々に国産化が進み、1955(昭和30)年から生産を行ったA50型では初期から国内調達部品が200点以上を数え、ついに翌年8月には全部品が日本製となりました。搭載される 直列4気筒OHVエンジンの最高出力は57馬力で、最高速度130㎞ /h をマークしました。このクルマは、提携で習得した技術の集大成で、1959(昭和34)年12月28日に製造された最終オフライン車です。”
◎引用:日産ヘリテージコレクション表示
Austin A50 Cambridge Saloon
When Austin carried out a model change in England (September 1954), Nissan followed suit and switched...
懐かしい、大樽のオートバイサーカス
半世紀前、このバイクのサーカスを見ました。
恐々と大樽の中を覗き込み、樽の最上部、自分の目の前を通り過ぎるバイクの曲芸に、怖さと、華やかさと、いろんな世界があるんだなあと感動したことを覚えています。
しばらくその存在を忘れていましたが、まだ継承され続けてることに感動です。日本における樽型オートバイサーカス最期のライダー伊藤秀樹氏引退後、キグレサーカスのアイアンという球形鉄籠のオートバイサーカスのスターだった、藤田昭範氏が継承し。ワールドオートバイサーカスを運営していとのこと。[youtube https://www.youtube.com/watch?v=rZp1xv039Js]
出典:youtube hudou123 様
青春とはなんだ(1965年10月〜)
この番組、夏木陽介さん主演、岡田可愛さんも出演者してました。
布施明さんが唄った挿入歌、特に『貴様と俺』が耳に焼き付いている。
“アメリカ帰りの野々村健介は、田舎町・森山町の森山高校の英語教師に就任し、ラグビーを通じて生徒たちと心の交流、人間教育を展開していく。また同時に町に蔓延する黒い影と戦っていくのだった。原作は、石原慎太郎の同名小説で、当初は2クール26話の予定で放送されていたが、好評で1年間の放送になった。よって原作から離れたオリジナル・ストーリーになったため第27話からそれまでの「原作・石原慎太郎」から「原案・石原慎太郎」というクレジット表記に変更された。”
◎引用:wikipedia
◎挿入歌 『貴様と俺』
https://dailymotion.com/video/x5bbh8z
出典:dailymotion◎作詞:岩谷時子
◎作曲:いずみたく
空に燃えてる でっかい太陽
腕にかかえた 貴様と俺だ
バネもきいてら 血もわくさ
*エイコラ ゴーゴー やっつけろ
年がら年中 傷だらけ
泥んこ苦行は なんのため
勝って帰らにゃ男じゃない
地球ふみぬく 足ふんばった
組んだスクラム 貴様と俺だ
恋をする気も 意地もある
*くりかえし
エイコラ ゴーゴー ぶっつぶせ
年がら年中 泣かされた
泥んこ苦行は なんのため
勝って帰らにゃ男じゃない
天国の父ちゃんこんにちは(1966年〜)
「こんちわー、パンツやですう」
「こんちわー、パンツやですう」
関西弁と森光子さんのキャラが、なんとも爽やかでエネルギッシュ。そしてコメディタッチ満載。
夫と死に別れた後。女性用下着の行商をしながら、二人の子供(松山省二・二木てるみ)を育てあげる感動の人気ドラマでした!
『東芝日曜劇場』でしたから、1話完結ものでシリーズ化され、1974年まで20本、1978年に1本の計21本制作されたようです。また見たいなあ!
54年式、メッサーシュミット(Germany/Messerschmitt)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=XhOk0QkObTs]
◎撮影場所 東京MEGAWEBヒストリーガレージ “第二次世界大戦中、数多くの戦闘機や爆撃機を製造したドイツの有名な飛行機メーカー、メッサーシュミット社が、1953
年から約10年間生産したユニークなキャビンスクーター。三輪でタンデム二人乗り、200ccに満たないエンジンながら、最高時速は95km/hも出たという。バックギアが付いておらず、エンジンを逆回転させて後退する。”
◎引用:東京MEGAWEBヒストリーガレージ表示
72年式、トヨタカローラ Levin(レビン) TE27型
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=coreMGzwFxM?rel=0&controls=0&showinfo=0]
◎撮影場所 東京MEGAWEB “カローラ・クーペのボディに、セリカ1600GT用の2T-G型DOHCエンジンを搭載したスパルタンな高性能車。軽い重量と115psの最高出力で、0-400m加速16.3秒、最高速度、190km/hを誇りました。初参戦した富士スピードウェイでの第9回日本GPでクラス優勝を飾るなど、数々の戦績はいまも伝説となっている。”
◎引用:東京MEGAWEB
少女漫画いろいろ
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=pZvp9bUScak?rel=0]りぼん、マーガレット、少女フレンド、、ETC。
少女漫画の雑誌いろいろありましたね〜。。幼児・低学年向け
後述のハイティーン向けと同様に、比較的新しい時代に年齢の細分化に対応して刊行された。従来児童向けの雑誌か少女向けの下限が担っていた層である未就学児(4歳頃)から小学校中学年までの女の子向けで、『ぴょんぴょん』は現在の『ちゃお』が探る低年齢層向け路線の先駆けであったが、1992年に『ちゃお』に統合された。
ぴょんぴょん(小学館、1988年 - 1992年)
ぷっちぐみ(小学館、2006年 - )
少女向け
創刊当初は少女向け雑誌として刊行されていた雑誌も多く、当初の読者層を小・中学生としながらも高校生にまで読まれ、文字通り少女漫画の中心であったが、高年齢層向けの雑誌の刊行、メディアミックスへの特化などで、現在は対象年齢を下げ小中学生向けになっている。少女漫画誌の多様化した現在では、前身の少女雑誌と同様に小学生の少女向け総合誌としての役割がこのジャンルを支えているともされる。
なかよし(講談社、1954年 - )
りぼん(集英社、1955年 - )
ひとみ(秋田書店、1978年 - 1991年)
ちゃお(小学館、1977年 - )
中高生向け
創刊当初は少女漫画よりもファッションやスターの情報を多く載せ総合誌的な性質を持っていたが、少女向け同様に徐々に少女漫画誌として充実してきた。
少女フレンド(講談社、『少女クラブ』が1962年にリニューアル...
63年式、ダイハツ ミゼット MP5型
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=48x3F-VvmJo]◎撮影場所 トヨタ博物館“初代ミゼットはテレビ番組をきっかけに爆発的な人気を得た。展示車は、シリーズ最終モデルで、スタイルは従来型とほぼ同じだが、丸ハンドルを採用している点が特徴である。”
◎引用:トヨタ博物館表示
Daihatsu Midget Model MP5
The first-generation Midget exploded in popularity after it was featured on a TV program. The car on display is a...
81年式、スズキ バーディ50
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=HMofl8rDYJs]◎撮影場所 スズキ歴史館 “アンダーボーンタイプとして人気を博したバーディシリーズのマイナーチェンジ版。通勤や買い物ばかりでなく、配達などの商用に使える多用途性とそれらに対応した豊富な車種構成が魅力でした。”
◎引用:スズキ歴史館