年間アーカイブ 2016
65年式、プリンス スカイライン 1500 デラックス
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=haoYxoXddZA?rel=0]
◎撮影場所 日産ヘリテージコレクション “スカイラインは名実ともに国産車を代表する乗用車のひとつです。その2代目(S50型)が発売されたのは、1963年(昭和38年)11月でした。初代の米国風フルサイズセダンから打って変わり、ライバルのひしめく1.5ℓクラスの小型ファミリーセダンとして生まれ変わりました。先進的なモノコックボディの採用のほか、当時としては画期的なメンテナンスフリー化を実現した意欲作でした。メンテナンスフリーとなった1.5ℓ直列4気筒OHV・70馬力エンジンは「封印エンジン」として4万㎞または2年間の保証がついていました。シャシーも同様に、定期的な注油のいらない「ノングリースアップ」が訴求されて話題になりました。”
◎引用:日産ヘリテージコレクション表示
SONY カセットデンスケ・TC-D5(1978)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=DUUwBaK5ZLw?rel=0]◎撮影場所 ソニービル “当時拡大中であった生録音市場で、愛好家から強く要望されていた小型軽量高性能を実現させたポータブルカセットレコーダー「カセットデンスケ」”
◎引用:ソニービル表示amzn_assoc_ad_type ="responsive_search_widget"; amzn_assoc_tracking_id ="hime112909-22"; amzn_assoc_marketplace ="amazon"; amzn_assoc_region ="JP"; amzn_assoc_placement =""; amzn_assoc_search_type = "search_widget";amzn_assoc_width ="auto"; amzn_assoc_height ="auto"; amzn_assoc_default_search_category =""; amzn_assoc_default_search_key ="家電";amzn_assoc_theme ="light"; amzn_assoc_bg_color ="FFFFFF";...
79年式、日産 スカイライン 2000GT-E・L
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=9biAS85SYtM]◎撮影場所 日産ヘリテージコレクション “5代目スカイラインC210型は1977年(昭和52年)に発売されました。大ヒットした「ケンメリ」スカイラインの外観イメージを引き継ぎ「ハコスカ」「ケンメリ」に次ぐニックネームは、「SKYLINE JAPAN」の広告キャンペーンから「ジャパン」として親しまれました。1978年には、昭和53年排気ガス規制をクリアしたエンジンを搭載し、型式はC211型へ変わります。リモートコントロールフェンダーミラー、ヘッドランプクリーナー、チルトステアリング、オーバーヘッドコンソールなどが話題の装備品でした。このクルマは、1979(昭和54)年7月のマイナーチェンジを迎える直前の前期型で、電子制御燃料噴射130ps エンジンが搭載された2000GT-E・L です。”
◎引用:日産ヘリテージコレクション表示amzn_assoc_ad_type ="responsive_search_widget"; amzn_assoc_tracking_id ="hime112909-22"; amzn_assoc_marketplace ="amazon"; amzn_assoc_region ="JP"; amzn_assoc_placement =""; amzn_assoc_search_type = "search_widget";amzn_assoc_width ="auto"; amzn_assoc_height ="auto"; amzn_assoc_default_search_category =""; amzn_assoc_default_search_key ="カー用品";amzn_assoc_theme...
64年式.フォード マスタング コンバーチブル(U.S.A/Ford)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=iho2GN1vVGo?rel=0]
◎撮影場所 東京MEGAWEBヒストリーガレージ “当時のフォード副社長リー・アイアコッカによって産み出された、若者でも買える比較的値段の安いスポーティなクルマ。多くの若者たちに瞬く間に普及し、 60年代を通じて毎年50万台以上が販売される驚異的な記録も残した。初期のモデルは2700ccから始まり、7000cc/375馬力というモンスターエンジンを搭載したモデルも作られた。”
◎引用:東京MEGAWEB表示
もうひとつの土曜日(唄:浜田省吾)1986年
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=ZXhDTCKH3qM]
出典:youtube shogohamadaSMEJうーん、これはなんとも言い難い心に響きわたる名曲ですね!
浜田省吾さん、こんな曲かけるなんてすごいな!
唄いながら、情景がありのまま浮かび上がり、そして自分の思い出と重ね合わせて、
思わず目頭が熱くなる方も多いでしょうね!◎作詞・◎作曲:浜田省吾
昨夜 眠れずに泣いていたんだろう?
彼からの電話 待ち続けて
テーブルの向こうで 君は笑うけど
瞳ふちどる悲しみの影
息がつまる程 人波に押されて
夕暮れ 電車でアパートへ帰る
ただ週末の僅かな彼との時を
つなぎ合わせて 君は生きてる
もう 彼のことは忘れてしまえよ
まだ君は若く その頬の涙
乾かせる誰かが この街のどこかで
君のことを待ち続けてる
Woo振り向いて Ha-Woo探して 探して
君を想う時 喜びと悲しみ
ふたつの想いに 揺れ動いている
君を裁こうとするその心が
時におれを傷つけてしまう
今夜 町に出よう 友達に借りた
オンボロ車で海まで走ろう
この週末の夜は おれにくれないか?
たとえ最初で最後の夜でも
Woo真すぐに Ha-Woo見つめて 見つめて
子供の頃 君が夢見てたもの
叶えることなど出来ないかもしれない
ただ いつも傍にいて 手をかしてあげよう
受け取って欲しい この指輪を
受け取って欲しい...
岡田奈々
岡田奈々さん可愛かったなあ、
歌手で、青春ドラマのヒロイン。あ、それからグリコのポッキーのCMでてた。。
なんだか お人形がそのまま動いてるの?って思えてしまうほど、普通の人間にはありえないような不思議なエネルギーを湛えてたなあ。
(1959年2月12日生まれ)青春の坂道
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=Sq8xdlNzqKA]出典:youtube 2009年、50歳の岡田奈々さん
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=I6pZAKyofl8]出典:youtube
82年式、三菱 パジェロ
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=-Q0cJOtbGFg?rel=0]
◎撮影場所 三菱オートギャラリー“国内市場において、ユーザーのレジャーユース指向の高まりや女性ドライバーの増加により、都会での4WDの需要増加が見込まれていた。そして、生産開始から20年以上経過したJeepに替わる、三菱独自の四輪駆動の開発機運が高まり、メタルトップ、およびキャンバストップの2種類のボデータイプを持つ「パジェロ」がここに誕生した。
『野性味と美しさ』を調和させる願いが込められ命名された「パジェロ」は、卓越したオフロード性能と乗用車並みの扱いやすさを両立。その後のRV/4WDブームのけん引役となり、今日の4WD-SUBの確固たる地位を築き上げた。
『パジェロの語源』:南米アルゼンチンのパタゴニア地方に住む野生の猫”
◎引用:三菱オートギャラリー表示
明治クリームキャラメル・ヨーグルトキャラメル製造終了
明治の『クリームキャラメル』、『ヨーグルトキャラメル』のファンだった方には大変残念な話。
なんと、2016年3月で製造中止となっていたあ。。
どうも最近お店で見かけない・ネット通販でも在庫なし続出。。だった訳ですね(◞‸◟)
クリームキャラメルは昭和9年、ヨーグルトキャラメルは昭和41年販売開始でしたので、
クリームキャラメルが82年、ヨーグルトキャラメルが50年のロングセラーだったわけですが、
先に発表されていたサイコロキャラメル同様姿を消してしまいました。
これで明治製菓(現在は株式会社明治)完全にキャラメルの製造から撤退するとのこと。。ただ、もともと、明治のキャラメルの製造は、
株式会社明治の100%出資の子会社、北海道の道南食品株式会社で製造されていたらしく、
サイコロキャラメルに関してはしては、そちらで “北海道サイコロキャラメル”として販売されているようです。
北海道サイコロキャラメル
62年、スズキRM62(#2)【1962年マン島TTレース優勝車両】
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=ZHCRkDWkqdE?rel=0]
◎撮影場所 スズキ歴史館 “このレーサーマシンは、1962年から始まったマン島TTレース50ccクラスにおいて、E.デグナーが優勝を果たした実車です。さらにスズキはこの年、ライダー・メーカー両タイトルを獲得し、スズキとして国際大会での初優勝という快挙に花を添えました。”
◎引用:スズキ歴史館
2B弾
https://dailymotion.com/video/x58ffto
いやあ、2B弾、よく遊びましたあ^^
私は恐々屁っ放り腰でしたが、みんな結構酷いことやってましたね〜^^
愛知県の花火業者が開発して1966年(昭和41年)で製造中止でした。
製造中止の理由は、2B弾とマッチ箱を同じポケットに入れたまま遊んでいた子供が火傷を負ったり、火災の原因ともなったことから花火業界団体の自主規制の形で姿を消したとか。。