年間アーカイブ 2017

54年式、ポルシェ 356(Germany/Porsche) 

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=_aAZ2cQGoXM?rel=0]◎撮影場所 東京MEGAWEBヒストリーガレージ“356とは、ポルシェ・デザイン・オフィスにおける「356番目のプロジェクト」を意味する。父のフェルディナンド・ポルシェ博士が設計したフォルクスワーゲンを基に、息子のフェリー・ポルシェが作ったスポーツカーで、1948年に登場。空冷エンジンをリアに積んだエアロダイナミックボディは、当時としては、ずば抜けた操縦安定性で話題となった。” ◎引用:東京MEGAWEBヒストリーガレージ

3億円事件

いやあ、これほどまでに世の中を騒がせた、現金強奪事件は無かったですよねー。被害額2億9430万7500円は、現在の貨幣価値だと10億円を超えるとか。68年12月10日に発生し、75年12月10日に時効が成立。あの頃、何かにつけて、話題が絶えなかった。実行犯、いまどうしてるのだろうか??1968年(昭和43年)12月10日事件発生 [youtube https://www.youtube.com/watch?v=VtoOZKtDEfY]出典:youtube 懐かしの毎日ニュース1975年(昭和50年)12月10日公訴時効が成立 [youtube https://www.youtube.com/watch?v=qxH4nMj6VkE]出典:youtube 映画社中日事件の概要 “現金輸送車に積まれた東京芝浦電気(現・東芝)従業員のボーナス約3億円(2億9430万7500円)が、白バイまで用意した偽の白バイ隊員に奪われた事件である。被害金額3億円は現金強奪事件としては当時の最高金額であった。その後の現金強奪事件では金額こそ三億円事件よりも強奪金額が多い事件があるが、1968年(昭和43年)当時の3億円は、平成26年(2014年)の貨幣価値に直すと約10億円に当たり、貨幣価値においては現金強奪事件としては日本最高である。 三億円強奪事件ともいわれているが、事件のあった日本において、本件犯行は強盗罪には該当せず、窃盗罪となる。犯人が暴力に訴えず計略だけで強奪に成功していること、盗まれた3億円は日本の保険会社が支払った保険金により補填され事件の翌日には従業員にボーナスが支給されたこと、その保険会社もまた再保険をかけており日本以外の保険会社によるシンジケートに出再していたことから補填され、直接的に国内で金銭的損失を被った者がいなかったという認識から、及び被害金額2億9430万7500円の語呂から、「憎しみのない強盗」とも言われる。一方で、マスコミの報道被害を受け後年自殺した人物や、捜査の過労で殉職した警察官2名が存在する。 警視庁捜査において容疑者リストに載った人数は実に11万人、捜査した警察官延べ17万人、捜査費用は7年間で9億円以上が投じられる空前の大捜査となったが、1975年(昭和50年)12月10日、公訴時効が成立(時効期間7年)。1988年(昭和63年)12月10日、民事時効成立(時効期間20年)。日本犯罪史に名前を残す未解決事件となった。 この事件以来、日本では多額の現金輸送の危険性が考慮されるようになり、給料等の支給について金融機関の口座振込としたり、専門の訓練を積んだ警備員による現金輸送警備が増加した。 ” ◎引用:wikipedia事件の経緯 “1968年(昭和43年)12月6日、日本信託銀行(後の三菱UFJ信託銀行)国分寺支店長宛に脅迫状が届いた。翌7日午後5時までに指定の場所に300万円を女性行員に持ってこさせないと、支店長宅を爆破するというものであった。当日、警察官約50名が周辺に張り込んだが、犯人は現れなかった。 4日後、12月10日午前9時30分頃、日本信託銀行国分寺支店(現存せず)から東京芝浦電気(現・東芝)府中工場へ、工場従業員のボーナス約3億円、正確には2億9430万7500円の現金が入ったジュラルミンのトランク3個を、輸送中の現金輸送車(セドリック)が、府中刑務所裏の府中市栄町、学園通りと通称される通りに差し掛かった。 そこへ白バイ隊員に変装して擬装白バイに乗った犯人が、オートバイに被せていたと思われるシートを後方に引っ掛けた状態のまま現金輸送車を追いかけ、現金輸送車の前を塞ぐようにして停車した。 現金輸送車の運転手が窓を開け「どうしたのか」と聞くと、「貴方の銀行の巣鴨支店長宅が爆破され、この輸送車にもダイナマイトが仕掛けられているという連絡があったので調べさせてくれ」と言って、輸送車の車体下周りを捜索し始めた。 4日前に、支店長宅を爆破する旨の脅迫状が送り付けられていた事もあり、その場の雰囲気に銀行員たちは呑まれていた。犯人は、輸送車の車体下に潜り込み爆弾を捜すふりをして、隠し持っていた発炎筒に点火。「爆発するぞ! 早く逃げろ!」と銀行員を避難させた直後に輸送車を運転し、白バイをその場に残したまま逃走した。 この時銀行員は「警察官」が爆弾から遠ざけるために輸送車を退避させたと考え、「勇敢な人だ」と思ったという。しかし、路上に残った発炎筒が自然鎮火したのち、オートバイに詳しい輸送車運転手が残された白バイが偽物と気付いたことから、「警察官」は偽者であり現金強奪事件であることが早くも判明した。 9時50分に伊豆・小笠原を除く東京都全域に緊急配備が敷かれた。奇しくも、この日は毎年恒例の歳末特別警戒の初日であった。警視庁は要所で検問を実施したが、当初は自動車の乗換えを想定していなかった事もあり、当日中に犯人を逮捕することが出来無かった。 ” ◎引用:wikipedia

55年式、三菱 ジープ・jeep J10 (CJ3B-J10)

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=TTtNBA7k-Hs?rel=0] ◎撮影場所 三菱オートギャラリー “1952年に米国ウイリス社と契約しCJ3Aのノックダウンを開始、これを三菱ではJ1型、J2型と呼んだ(554台生産)。翌年ハリケーンエンジンを搭載したCJ3Bが登場、これを初めて国産化したのがJ3型で、ジープ国産化の過程が凝縮された自動車工業史に残る世界的名車となった。J10型は民間の需要に応えて1955年に製造、ホイールベースはJ3型のままでフレームとボディを後方へ延長した6人乗り左ハンドル車。” ◎引用:三菱オートギャラリー表示

Helloアップルヒップ/ワコールのCM(唄:クリエーション)1981年

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=vyodZaamGAg] 出典:youtube1981年、クリエイションが、バンド名を『クリエーション』に変更。その年、ワコールのCMソングとなった『Helloアップルヒップ』をリリース。テレビCMは1982年ごろ流れてましたねー、このCM大好きでした^^

ELECTRIC SOUL MAN (CREATION/クリエイション)1977年

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=msuFaInhtPA] 出典:youtube77年、竹田和夫さん率いるクリエイションが、素晴らしいアルバムを世に出してくれました。「ピュアエレクトリックソウル」です。スピニング・トー・ホールド聞きたくて購入したアルバムでしたが、良い曲がたくさん詰まってました。この、『ELECTRIC SOUL MAN 』は1曲目。頭からいきなりノリの良い曲が入ってて、わくわくしたあの時のことが鮮明に思い出されます^^

70年式、ヤマハ XS-1

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=4wegi2gBNjQ]◎撮影場所 ヤマハコミュニケーションプラザ“1955年の創業以来、2ストロークエンジンのモデルを手がけてきたヤマハ発動機が、初めて発売した4ストロークモデル。日本では高速道路の普及期を迎え、世界的にもモーターサイクルの大型化・高速化へのニーズが高まるなかで「軽量・スリム・コンパクトな大排気量スポーツモデル」という開発テーマ、与えられた命題を、細身のダブルクレードルフレームにスリムなOHC・バーチカルツインエンジンを搭載することで解決、多くのファンを獲得し、ファンからは「ペケエス」の愛称で呼ばれた。 ” ◎引用:ヤマハコミュニケーションプラザ After making only 2-stroke models since its founding in 1955, Yamaha Motor introduced this model as its first to mount a 4-stroke engine....

88年式、日産 シルビア Q’s

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=slKoWJHYOsw?rel=0] ◎撮影場所 日産ヘリテージコレクション “ 「アートフォース・シルビア」のキャッチコピーとともに1988年(昭和63年)5月に登場した5代目シルビア(S13)は、均整のとれたクーペらしい美しいボディラインが受け入れられ、日産を代表する「スペシャリティカー」として、若者を中心に多くのファンを獲得しました。ほどなく通産省選定グッドデザイン、日本カーオブザイヤーを受賞し、その美しさと人気が証明された形にもなりました。FR(フロントエンジン・リヤドライブ)の駆動方式ならではの走りの楽しさにも人気が集まりました。初期型のエンジンは全車1800ccのCA18型DOHCで、J’sとQ’sが135馬力のNA(自然吸気)、K’sが175馬力のターボエンジンを搭載していました。1991年にはマイナーチェンジで全車2000ccのSR20型DOHCに換装され、それぞれエンジンパワーが強化されています。ちなみに、シルビアとプラットフォームが共通の180SXも1989年(平成元年)に発売され、両車ともに、若者を中心に絶大な人気を集めました。このクルマはCA18DEエンジンを搭載する中間グレードの初期型Q’sです。 ” ◎引用:日産ヘリテージコレクション表示

志穂美悦子

志穂美悦子さん、かっこよかったなあ、そしてとっても素敵でした。73年のデビューから87年の引退まで、実に多くのアクション物を中心としたテレビ、映画に出演されてました。87年に、あの長渕剛さんと結婚、引退。現在はフラワーアレンジメントを中心に活動されているようです^^あの頃のアクションシーン [youtube https://www.youtube.com/watch?v=bHVuqg0NCsI]出典:youtube Dan Chup長渕悦子(志穂美悦子) “ ジャパン・アクション・クラブ(JAC) 出身の日本初、アクション派女優・志穂美悦子として、「女必殺拳」「柳生一族の陰謀」「二代目はクリスチャン」など、数多くの映画やTVに出演後、「男はつらいよ」シリーズ第37作マドンナを最後に1987年、結婚。 以後芸能活動は行っていなかったが、2011年11月にNAGABUCHI TSUYOSHI Official Cafe『Rock On』の東日本大震災復興特別企画として、自身のライフワークであるフラワーアートをまとめた写真集書籍『Flower arrangement 写真集 INSPIRE ~いちかばちか~』を自費出版で発売。アレンジメント作品をクリエイトし、写真も自らが撮るというスタイルにこだわった一冊は、売上げの全てを寄付するチャリティーブックとしても話題となる。当書籍はシリーズ化され、2013年9月に発売した写真集Vol3「IN NEW YORK」では、日本を飛び出してフラワーアレンジメントに挑戦し、また同夏、ケニア、ナイロビのマトマイニ孤児院、マサイ村を訪問するなど、さらに花の世界観を拡げている。 日本においては、震災直後から被災地の宮城県七ヶ浜を訪れ、参加者と一緒に作品を作り上げるワークショップを開催。その展開は今や全国に拡がり、老若男女問わず幅広い層から支持され、現在まで開催されたフラワーワークショップは20回を越える。 2013年12月18日には、TBSの情報番組「はなまるマーケット」に出演。じつに25年以上ぶりとなるテレビ出演となった。これをきっかけにその存在ににわかに注目が集まり、朝日新聞をはじめとした媒体に登場。 2014年4月20日、奈良 薬師寺の国宝 東院堂での「聖観世音菩薩に捧げる花展」までの道のりを追ったドキュメンタリー番組「ソロモン流」(テレビ東京)が放映された。 ” ◎引用:Etsuko Nagabuchi Love&Fight Etsuko Nagabuchi Love&Fight

俺はご先祖さま(1981年12月〜)

ミミ役のマリアンが艶かしくてよかったなあ^^ UFOに乗って未来からやってきたって設定も興味をそそられましたねー。あらすじ “作家を目指す雑誌カメラマン白石伴吉(石坂浩二)の下宿先に、伴吉を「おジィちゃま」と慕う若い女性・ミミ(マリアン)が突如として未来からUFO型のタイムマシンでやってきた。未来世界では「愛」は危険思想とされているのだという。祖先の伴吉を対象に「愛」を調べにきたミミは、伴吉の未来の結婚相手の名前を知っていた。そんな彼女が20世紀の現代社会で巻き起こす大騒動を描いたSFコメディ。” ◎引用:wikipediaキャスト 石坂浩二、マリアン、井上順、浅野ゆう子、三浦洋一、佐藤浩市、根岸季衣、牟田悌三、松山英太郎、あべ静江、賀原夏子、長谷川季子、藤岡琢也、戸川京子、ヘレン笹野、津村隆、左とん平、山城新伍(特別出演)

70年式、三菱 コルト ギャラン ハードトップAⅡカスタムL

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=zG1yesHdmns?rel=0] ◎撮影場所 三菱オートギャラリー “オシャレなスタイルの三菱初のピラーレスハードトップ。セダンより30mm車高を低くし、フルオープンのサイドウインドゥを特長とした大人向けの都会的スタイルで人気を得た。セダンと共に北米に初輸出。” ◎引用:三菱オートギャラリー表示