FASHION WEEK
DON'T MISS
70年式,日産チェリー X-1(PE10)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=HntS-MHn0yw]
◎撮影場所 日産ヘリテージコレクション『後方から』
“初代チェリーは、1970年(昭和45年)に日産初のFF(フロントエンジン・フロントドライブ)モデルとしてデビュー。車名の「チェリー」は、日本らしさを訴求するため「桜」から命名されました。当時の小型車は、世界的にFR(フロントエンジン・リヤドライブ)からFF への移行が進みましたが、小さなボディサイズでも広い室内を確保できるのがその最大の理由した。エクステリアでは、個性的なアイラインウインドウ(ウエストラインからC ピラーへのライン)が特徴でした。スタンダード・セミデラックス・デラックス・GL・X-1の5グレードがあり、登場時の2ドア・4ドアセダンに加えて、1971年9月にはクーペが加わりました。このクルマは、SU ツインキャブ付きのA12型・80馬力エンジンで、670kg の軽量ボディを強力に加速させる、ホットモデルのX-1です。”
◎引用:日産ヘリテージコレクション表示
TECHNOLOGY
LATEST NEWS
三波伸介さんの魅力溢れる「お笑いオンステージ」NHK(1972年4月〜)
子どもから親のイメージを聞きながら似顔絵を描く、という減点ファミリーが大好きでした。
毎回、笑わせてくれましたし、とても絵心のある方でしたね^^
番組は10年間の長寿番組。
こんな番組今ではないですよね、もっと続いてほしかったぁ。。。
三波伸介さんは、1982年12月、52歳没。ご冥福をお祈りいたします。
アグネスラム
1975年ごろ、
突然ブラウン管(古っ)笑
に現れて、瞬間で、
日本の男たちをメロメロにしたアグネス。
いやあ、可愛かった!!(その突然現れたテレビCM:
後のテレビ番組でCMが紹介されている動画)
https://dailymotion.com/video/x1330ua
(ハウスフルーチェのCM)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=Q9AV_R_ZbPU]
出典:youtube
アリナミンAのCM・鍛えれば全身バネになる(1981年)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=QC3jINUqsFk?rel=0&controls=0&showinfo=0]
出典:youtube1981年、アリナミンAのCM。俳優名高達郎さんが挑戦する「超人シリーズ」の中の、物凄いマサイ族のジャンプ、こりゃ、トンんでもないジャンプ力でしたねー。
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POPULAR ARTICLES
84年式、ヤマハ RZV500R
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=6UwXLXBT5jY?rel=0]
◎撮影場所 ヤマハコミュニケーションプラザ “レースファンの間で“キング”の異名を持つケニー・ロバーツがライディングしたファクトリーマシンYZR500のイメージを再現したスポーツモデル。市販車で初となる、前後シリンダーにピストンリードバルブとクランクケースリードバルブという異なる吸入方式を採用した2ストローク・V4エンジンを搭載し、リアサスペンションをエンジンの下に水平に配置するなど、ヤマハのチャレンジスピリットが現れた技術が随所に採用されている。”
◎引用:ヤマハコミュニケーションプラザ表示
55年式、三菱 ジープ・jeep J10 (CJ3B-J10)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=TTtNBA7k-Hs?rel=0]
◎撮影場所 三菱オートギャラリー “1952年に米国ウイリス社と契約しCJ3Aのノックダウンを開始、これを三菱ではJ1型、J2型と呼んだ(554台生産)。翌年ハリケーンエンジンを搭載したCJ3Bが登場、これを初めて国産化したのがJ3型で、ジープ国産化の過程が凝縮された自動車工業史に残る世界的名車となった。J10型は民間の需要に応えて1955年に製造、ホイールベースはJ3型のままでフレームとボディを後方へ延長した6人乗り左ハンドル車。”
◎引用:三菱オートギャラリー表示
ジョー90(1968年10月〜)
主人公は9歳という設定もあって、すごく身近に、親しみを感じてました。
キャプテンスカーレットは少し理解できないことも多かったけれど、これは当時の私にも十分楽しめる内容だったかなあ?おぼろげ^^
ビッグラットに入って、ジョーのあのシートに座ってみたかった^^
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=PAJn3kOKTic]
出典:youtubeストーリー
“マックレイン教授の自宅にある発明品ビッグラット(BIGRAT:Brain Impulse Galvanoscope Record And Transfer)。周りを囲む球形の枠が回転し、磁気テープに記録された各分野のプロフェッショナルの能力を、中央の椅子に座った別の人間の脳に外科的手段を経ずに転送する機能を持つ。人間をコンピュータに見立てて、場合に応じて能力(プログラム、ソフトウェア)を人に転移(インストール)するようなものである。教授の養子である9歳児・ジョーは、これと電子メガネを使って諜報機関WIN(World Intelligence Network)のスパイ90号になり、時には「子供だからノーパスで通れる所」「小さな子供だから入れる所」で活躍する。”
◎引用:wikipedia
LATEST REVIEWS
ガッツジュン(1971年4月〜)
スポ根もの、全盛の1971年、大ヒットだった『柔道一直線』終了後、直ぐさま、スタートした番組だった。主人公、沢村純がすごーく爽やかで、どんどん引き込まれましたねー。
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=0tNGGRa4rD0]出典:youtube ストーリー
“主人公・沢村純が、元野球選手で行方不明の父親を捜すために野球を志し、全国大会出場を目指すというのが骨子である。開始当初は「レインボーボール」等の魔球を特撮で描くなど視覚に訴える演出に重点が置かれていたが、その後は純を中心とする仲間や家族とのドラマに重点が置かれている。前半のデフォルメ描写は『柔道一直線』でヒットした要素を意識したものであったが、メイン監督の船床定男が野球を知らなかったこともあり効果的にはならず、野球ファンから不評であったため監督を交代し路線変更するに至った。その後、次番組『シルバー仮面』がフジテレビ系の裏番組『ミラーマン』に対抗するため放送を繰り上げることとなり、本作品は1話分短縮されて打ち切られた。ストーリーの骨子である父親捜しの決着はつくことなく、名雄高校のエースに成長した純が全国大会出場を決めるところでドラマは終了した。”
◎引用:wikipedia
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