☆番外編(クラシック)47年(昭和22年)式、たま 電気自動車

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=STP7pU60Nts]◎撮影場所 日産ヘリテージコレクション“「たま」は、戦前の立川飛行機から派生した「東京電気自動車」が開発した電気自動車です。このクルマが登場した1947(昭和22)年当時の日本は、終戦直後で物資や食糧だけでなく、深刻な石油不足に見舞われていた一方で、家庭電化製品はまだほとんどなく、工場も破壊されて大口電力需要者もいなかったため電力の供給は余剰気味でした。この状況下で政府も電気自動車の生産を奨励したため、市場には新興自動車メーカーの電気自動車が多数存在しました。その中で「たま」は、第1回電気自動車性能試験でカタログ性能を上回る航続距離96㎞、最高速度35㎞/hというトップの性能を記録して注目を集め、1951(昭和26)年頃までタクシーなどで重宝されました。型式名E4S-47 I型は、 Eは電気、4S は4人乗りセダン、47は年式、I型は初期型の意です。なお、「たま」のブランド名は工場のあった多摩地区から命名され、ホイールキャップにも「たま」の文字をかたどったロゴが読み取れます。電気自動車(EV)が終戦直後の日本の道を走り、日本の復興に一役買っていた事実からも、EVの意外な歴史の重みを感じます。2010年、電気自動車LEAFの発表に合わせて社内の有志によってフルレストアされ走行することも可能になりました。” ◎引用:日産ヘリテージコレクション表示 After the war oil was very scarce, but electricity was plentiful. For this reason, there was a period when the government promoted the manufacture of electric vehicles. With this encouragement,...

☆番外編(クラシック)47年(昭和22年)式、たま トラック (ガソリンエンジン仕様)

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=V9RDtLYT4qM]◎撮影場所 日産ヘリテージコレクション“たまトラックは、セダンとともに1947(昭和22)年にデビューしました。型式E0T-47II型の読みは「イー・ゼロ・ティー・ヨンナナ・二ガタ」で、E は電気自動車、0は0.5t積み、T はトラック、47は年式、IIはマイナーチェンジ後を示します。 セダンは4名定員でしたが、トラックである貨物車は多くの荷物を載せるカーゴスペースがあるぶん、キャビンは2人乗りです。このガソリンエンジン仕様車は、朝鮮戦争により鉛の価格が高騰しバッテリーの価格も高騰、入手困難となり、一方ガソリンは、統制が解除され、市場で入手可能になったため、のちにガソリンエンジン仕様に改修されたものです。直列4気筒の760ccエンジンを搭載。最大積載量は500kg。大きなフロントライトが目を惹く愛くるしいフロントマスクは、セダンと同じです。” ◎引用:日産ヘリテージコレクション表示 Tama Truck This was launched in 1947 by the Tokyo Electric Cars Co. together with a sedan. Both truck and sedan were available in electric and gasoline versions. "Tama" was...

☆番外編(クラシック)38年(昭和13年)式、ダットサン 17T型 トラック

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=92eMtEcYQnA]◎撮影場所 日産ヘリテージコレクション “日産のピックアップトラックは、1932年、前身のダット自動車製造が発売したダットサン10型の時代から存在したといわれ、グローバルに見ても日産最古の車種として80年以上の歴史を刻んでいます。少しでも多くのお客さまのニーズに応えるため、日産は創業初期から商用車にも力を注いできたのです。ダットサントラック17T型は、15T型(1936年発売)の後を受けて1938年に登場し、17型の乗用車と同様、サイドバルブの722ccエンジンを搭載していました。、戦時色が濃くなる1937年(昭和12年)以降は、ガソリン節約のため、国民車として燃費の良いダットサンの使用が奨められる時代となり、ダットサントラックも商店やデパートへの小口配送に広く活躍しました。” ◎日産ヘリテージコレクション表示

☆番外編(クラシック)38年(昭和13年)式、ニッサン乗用車 70型

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=nGYF_k91H9o]◎撮影場所 日産ヘリテージコレクション“「ニッサン」ブランド車の生産は、1937年(昭和12年)3月に始まりました。ニッサン70型乗用車は、その記念すべき最初のモデルです。このモデルはアメリカ、グラハム・ページ社の設備を買い取って国産化したもので、ボディサイズは当時のフォードやシボレーとほぼ同じでした。自動車先進国のアメリカの技術を吸収し、日本の自動車産業を自立させようという意図も込められています。このセダンは5人乗りと7人乗りがあり、さらに、幌屋根のフェートンもバリエーション展開されていました。日産自動車は、ニッサンブランド車の登場により、小型車は「ダットサン」、大型車は「ニッサン」と、2つのブランド名を使い分ける時代に入りました。” ◎日産ヘリテージコレクション表示 Until the introduction of corporate identity guidelines in 1981, two different car names (brand names) were used: small cars were called "Datsun" while large vehicles were named "Nissan". The first NISSAN model was...

☆番外編(クラシック)38年(昭和13年)式、トヨタAB型 フェートン

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=T6u3yUZool0]◎撮影場所 東京MEGAWEBヒストリーガレージ “1936年、トヨタ初の生産型乗用車としてデビューしたAA型のフェートン形式(幌型)としたモデルで、そのほとんどは陸軍に納められ、一般の手にはあまり渡りませんでした。AA型とはフロントウィンドウから後ろが全く異なり、後席ドアの開き方もAA型の観音開きに対して、オーソドックスな後ろ開きになっています。1936年から1938年まで353台が生産され、当時の価格は3,300円でした。展示車は終戦直後、千葉の航空隊から譲り受けた法政大学自動車部が使用していた車で、箱根駅伝の伴走車にも使われたそうです。” ◎引用:東京MEGAWEBヒストリーガレージ表示

☆番外編(クラシック)38年(昭和13年)式、ダットサン 17型 フェートン

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=0R4v5xv4f2k?rel=0] ◎撮影場所 日産ヘリテージコレクション“戦時色が濃くなりつつある1938年(昭和13年)にデビューを果たしたダットサン17型は、タフで経済性に優れ、日本中で大いに活躍しました。当時のカタログにも「国民標準経済車」と謳い、燃費の良いことを説明していました。エクステリアデザインは、前年に登場したダットサン16型を踏襲しています。フロントグリル中央を貫くように、太めの縦バーが入っているのが特徴です。純綿や純毛が不足していた時代背景もあり、インテリアはシンプルに仕上げられています。このクルマは、4座席に幌屋根を持つフェートンで、成城大学自動車部で使用され、1974年の文化祭を目標に同大でレストアされたクルマです。 ” ◎引用:日産ヘリテージコレクション表示

☆番外編(クラシック)38年(昭和13年)式、ダットサン17型セダン

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=andZOVDic2o]◎撮影場所 日産ヘリテージコレクション“戦時色が濃くなりつつある1938年(昭和13年)にデビューを果たしたダットサン17型セダンは、タフで経済性に優れ、日本中で大いに活躍しました。エクステリアデザインは、前年に登場したダットサン16型セダンを踏襲しています。フロントグリル中央を貫くように、太めの縦バーが入っているのが特徴です。純綿や純毛が不足していた時代背景もあり、インテリアはシンプルに仕上げられています。搭載されるエンジンは、サイドバルブ(SV)の722ccで、16馬力という最高出力も16型と同数値です。この年はドイツで初の国民車となるフォルクスワーゲン・ビートルが誕生しており、当時の先進国では、第二次大戦前のモータリゼーションが高まりつつある状況にありました。” ◎引用:日産ヘリテージコレクション表示 In 1938 Japan was already at war in China. The rugged and very economical Datsun was hugely popular. The exterior was not much different to that of the "16", but a thick vertical...

☆番外編(クラシック)36年(昭和11年)式、トヨダ AA型乗用車 “レプリカ”

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=F_9NFqJWlG0] ◎撮影場所 トヨタ博物館 “1936年、トヨタ自動車初の生産型乗用車として誕生。当時流行のストリームラインをいち早く採り入れ、理想的な前輪荷重やすぐれた乗り心地を実現したことはきわめて先進的であり、海外とくらべても一歩先を行くものであった。また、生産合理化を進め、自社の技術開発に努めて完成させたことは、歴史的にも大いに注目できるし、当時の自動車生産にも大きな自信を植えつけることになったのだった。” The year 1936 marked the birth of Toyota's first production passenger car. The Model AA was among the earliest to adopt the streamlined styling that was coming into vogue, offering an ideally balanced...

☆番外編(クラシック)36年(昭和11年)式、ダットサン15型フェートン

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=GWacfEu_aDY?rel=0]◎撮影場所 日産ヘリテージコレクション“1936年(昭和11年)5月に登場したダットサン15型フェートンです。フェートンとは、4人乗りセダンを幌付きにした仕様です。搭載エンジンは1935年に登場した14型と同じ722cc(7型)で、排気量こそ同じですが、圧縮比を5.2から5.4に上げることで、16馬力と1馬力向上させています。現在でこそクルマにとって1馬力は大きなパワーアップには感じられないかもしれませんが、当時では着実な進化といえるものです。エクステリアでは、ラジエーターグリルの左上に角型のDATSUNバッジが付いたのが15型の特徴ですが、このクルマでは残念ながら欠品となっています。さらに、ボンネット真横にあるルーバーのデザインも14型のシンプルな縦縞のものから、5つ連なるような横長形状のデザインに変わっています。 ” ◎引用:日産ヘリテージギャラリー表示 The "15", which appeared in May 1936, uses the same 722cc (Type 7) engine as the "14", but the compression ratio was raised from 5.2 to 5.4 to turn it into a 16ps...

☆番外編(クラシック)35年(昭和10年)式、東京自動車製造 筑波号

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=8Bp1mt7NPAo] ◎撮影場所 トヨタ博物館 “国産初の前輪駆動車は、オートレースで活躍した川真田和汪氏が1931年に製作した「ローランド号」といわれている。その改良発展型である「筑波号」は、1935年から3年間、東京自動車製造(株)により、3車種(セダン、幌型、トラック)がおよそ130台生産された。なお、車名は関東の筑波山に由来している。” ◎引用:トヨタ博物館表示