年間アーカイブ 2016

キャラクターのジョーロ

60年代初頭、マンガのキャラクターを、水遊びのジョーロにして販売していた会社がありました。あの有名な『タカトク』さんですね^^ 当時『タカトク』さんは、『鉄腕アトム』『鉄人28号』『ウルトラマン』etc.などヒットキャラクターの商品化を次々に手掛けていたようです。 もちろんその他にも実に数多くの玩具を製造販売し1984年まで存在した、おもちゃの大手の会社でした。 まあ、当時の私たち子供はそんなことは全く知らなかったわけですが、 このキャラクターのジョーロにあわーい思い出があります^^ 懐かしくないですかあ?^^ アンティークらしさ 様のホームページに掲載されていましたのでご紹介させてください^^ 出典:アンティークらしさ 様 出典:アンティークらしさ 様 出典:アンティークらしさ 様 出典:アンティークらしさ 様

86年式、日産 エクサ キャノピー タイプB

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=gDV2rSfj3SA]◎撮影場所 日産ヘリテージコレクション “1986年(昭和61年)5月にフルモデルチェンジした3代目パルサー(N13型)から、クーペボディのモデルだけが独立する形で、同年10月にデビューしたのが日産エクサ(EXA:KEN13型)です。オリジナルのパルサーとは異なり、リトラクタブルヘッドライトやTバールーフを備えたノッチバッククーペのボディスタイルだけでも、当時のヤング&エントリーユーザーの目を惹く存在でしたが、さらにリヤハッチ部分がワゴン形状となるキャノピーが用意されていたことも大きな話題を呼びました。日本では法規上認められませんでしたが、輸出されたアメリカでは脱着式のリヤハッチとキャノピーハッチがコンバート可能であり、Tバールーフの脱着とも併せて様々なスタイルを楽しめるクルマとして注目されました。エンジンは、120馬力のCA16DE型1598cc、直列4気筒DOHCが搭載されています。このクルマは、キャノピー仕様で専用アルミホイールを装備した豪華グレードのタイプBです。” ◎引用:日産ヘリテージコレクション表示

51年式、ポルシェ 356 クーペ(Germany/Porsche)

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=wJO7R9IrK4M?rel=0] ◎撮影場所 トヨタ博物館  “ポルシェ社を創業したフェルディナント・ポルシェ博士の息子、フェリー・ポルシェが設計した、高性能・実用的な小型スポーツカー。 フォルクスワーゲンと同じ駆動方式(RR)がとられ、コストダウンの観点や部品調達の容易さから、エンジン、サスペンションなどの部品もフォルクスワーゲンの物をベースとしている。 RRの駆動方式は、1964年に登場したポルシェ911に受け継がれている。” ◎引用:トヨタ博物館表示

83年式、トヨタ カローラ レビン AE86型

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=j9aGMYEWhjk?rel=0]◎撮影場所 トヨタ博物館“FF(前輪駆動)に移行した5代目カローラのなかで、FR(後輪駆動)として存続し、軽快な走りで人気を博したスポーツモデル。 このモデルから、エンジンが従来の2T-GEU型から4A-GEU型に変更になり、出力が向上すると共に上級グレードにはパワーウインドウやパワーステアリングも装備された。 1987年の6代目ではレビンもFFとなったため、最後のFRレビンとして人気が高く、「ハチロク」と呼ばれて親しまれている。” ◎引用:トヨタ博物館表示 While other fifth-generation Corollas shifted to the FF (front-engine, front-wheel-drive) layout, the Corolla Levin AE86 retained the FR (front-engine, rear-wheel-drive) configuration, and its...

84年式、ヤマハ RZV500R

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=6UwXLXBT5jY?rel=0] ◎撮影場所 ヤマハコミュニケーションプラザ “レースファンの間で“キング”の異名を持つケニー・ロバーツがライディングしたファクトリーマシンYZR500のイメージを再現したスポーツモデル。市販車で初となる、前後シリンダーにピストンリードバルブとクランクケースリードバルブという異なる吸入方式を採用した2ストローク・V4エンジンを搭載し、リアサスペンションをエンジンの下に水平に配置するなど、ヤマハのチャレンジスピリットが現れた技術が随所に採用されている。” ◎引用:ヤマハコミュニケーションプラザ表示

涙の河(唄:マギー・ミネンコ)1974年

https://dailymotion.com/video/x4t0p8s 出典:dailymotionうわさのチャンネルで人気だったマギー・ミネンコさん。 歌もお上手でしたね! 1974年3月に、燃えるブンブン そして同年7月に、この「涙の河」をリリースしてます。 聴き返すと、なんかいいですねー、素晴らしい曲だ! ◎作詞:橋本淳 ◎作曲:中村泰士

SONY ベータムービー(1983):発売時、世界最小・最軽量

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=iAv0JrXVK98?rel=0]撮影場所 ソニービル“ビデオカメラにベータ方式のデッキを内蔵させた「ベータムービー」の第1号機。これら当時最先端の新技術は、発売時の世界最小・最軽量を実現した。” ◎引用:ソニービル表示これ出た時、興奮しましたねー。 当時は、カメラとデッキそれぞれが高額だったので、合わせて269、000円という価格が安価に感じたから怖い^^

54年式、プリンス セダン デラックス

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=gosIcgXkSw4?rel=0] ◎撮影場所 日産ヘリテージコレクション “日産自動車は1966年(昭和41年)にプリンス自動車工業と合併しますが、プリンス自動車工業の前身である「たま自動車株式会社」が、富士精密工業のエンジンを利用して発売したのが「プリンス セダン」で、1952年(昭和27年)3月に発表されました。車名の「プリンス」は、明仁親王殿下(今上天皇)の立太子の礼にちなんで命名されたもので、その後も社名やブランド名として引き継がれました。エンジン型式のFG4Aは、F:富士精密、G:ガソリンエンジン、4:4気筒、A:最初の開発を表します。最高出力は45馬力、最大トルクは10kg-mで、4速MTを搭載し、2速以上は国産車では初となるシンクロ機構付きでした。1954年(昭和29年)、東京日比谷で開かれた第1回全日本自動車ショウ(後の東京モーターショー)で、明仁親王殿下の目にとまり、ご購入。このクルマは、明仁親王殿下が当時ご愛用になった、極めて貴重な車両です。” ◎引用:日産ヘリテージコレクション表示

映画 クリスマスキャロル(日本公開1970年)

これは映画館で見ましたねー。 意地悪なスクルージが、怖〜い夢を見て改心し、サンタさんになってギブするミュージカルでした。 何と言ってもプレゼントをもらった時の人の表情の変化が素敵で、日常のギブの大切さを教えて頂いた映画でした^^[youtube https://www.youtube.com/watch?v=y7Pk1jcaLDI]出典:youtube Green Meanie 様ストーリー “19世紀半ば。クリスマス・イブのロンドンは街中に讃美歌が流れ、陽気な賑わいをみせていた。しかし、スクルージ(アルバート・フィニー)の事務所はそんなムードとはおよそ関係ない様子、彼は徹底したケチで思いやりのない老人だった。事務員はボブ・クラチット(デイヴィッド・コリングス)ただ一人。この忠実な男をスクルージは安い給料で雇い、クリスマス休暇も1日しか許可しなかった。それでもボブは、イブを家族と過ごすためにいそいそと帰っていく。家に帰る道すがら、スクルージは借金の催促は忘れない。貧乏人は救貧院に入るか、死ぬか、勝手にしろ、そうすれば人口増加が抑えられるだろうなどと、彼は考えていた。スクルージは自宅のドアのノッカーを見て、驚いた。怪獣の頭をしたそのノッカーが人間の顔になり、恐ろしい声で「スクルージ」と言ったからだ。その声は7年前に真だ共同経営者マーレイ(アレック・ギネス)のものだった。やがて彼の目の前にマーレイの亡霊が現れ、今夜3人のクリスマスの亡霊--過去、現在、未来の亡霊が訪れるが、3番目の亡霊こそお前の唯一の救いとなろう、と言って姿を消した。夢に違いない! 彼はそう思った。しかし時計が1時を打った時、予言通り、過去の亡霊(エディス・エバンス)が現れ、彼を過去へ誘った。恋人イザベラ(スザンヌ・ニーブ)との楽しい日々。愛しながら別れた追憶の青春をスクルージは悔やんだ。気がつくとベッドの上だった。幻覚かも知れない--時計が2時を打ったら現在の亡霊(ケネス・モア)のお出ましだ。貧しいながらも幸福そうなクラチット一家の団欒風景。彼らが自分のために祝ってくれるのを見てスクルージの良心が疼いた。“チビ”のティム(リッキー・ボーモン)が重い病を患っているのが哀れであった。スクルージは人間の善意について考えた。目が醒めると3時だった。未来の亡霊(パディ・ストーン)は黙ったままでスクルージを事務所へ連れていった。事務所の前では大勢の人間が嬉しげに騒いでいた。彼も一緒に騒いでいたが、それはある人間の死を喜んでいたのであった。それは誰か? スクルージだったのだ。3番目の亡霊は死神だった。死の世界で彼は泣き叫んだ。誰も助けに来てくれない--。あたりを見廻すともとのベッドにいた。もう夢や幻とは思わなかった。イブはまだ終わっていなかった。家を飛び出し、七面鳥を買い、回転木馬を用意してクラチット家へ行き、ボブには休暇を十分与え給料も上げた。町の人々へたくさんのプレゼントを用意したスクルージの姿は満足そのものだった。喜びと悲しみを分かち合う素晴らしさに満ちた姿であった。” ◎引用:Movie Walker

60年式、ヤマハ MF-1

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=yJQBB1O4R1g?rel=0] ◎撮影場所 ヤマハコミュニケーションプラザ “ヤマハ発動機初のモペットで、5年後に発売されベストセラービジネスバイクとなるメイトの原型ともなった。タンク一体式のモノコックフレーム、フロントサスペンションにはゴムブロックを圧縮したナイトハルト式、リアサスペンションにはゴムに包まれたコイルスプリングを圧縮したエリゴ式を採用するなど、良好な乗り心地が評価された。セルスターターも装備して、「誰にでも気軽に乗れる」モペットのイメージを定着させた。” ◎引用:ヤマハコミュニケーションプラザ