65年式、スズキ フロンテ800

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=MEpQJ-f5ktc?rel=0] ◎撮影場所 スズキ歴史館“1965年、モーターショーで好評を博していた800ccクラスの小型車をついに市販開始。それがフロンテ800でした。水冷2サイクルの785ccエンジンをフロントに収め、FF方式を採用し、4速ミッションを介しての最高速度は115km/h。車内デザインによる流麗なスタイリングは当時の流行を先取りしたもので、高い評価を得ました。” ◎引用:スズキ歴史館表示

TVジョッキー(1971年1月〜)

日曜日は欠かさず見てました。。 奇人変人や珍人集合、大好きでした! 白や時々、黄色や青のギター、そしてEDWINのジーンズがもらえてましたよね!欲しかった!^^ 司会の土居まさるさんも絶妙でしたね!【珍人集合・おかま大会】 [youtube https://www.youtube.com/watch?v=_vN1lrvtJ9c] 出典:youtube 小阪合 様こちらテーマ曲の(傷ついた小鳥) [youtube https://www.youtube.com/watch?v=03yGfHzZOIw]出典:youtube 

78年式、ヤマハ SR500

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=Q3qVGhuNV6A]◎撮影場所 ヤマハコミュニケーションプラザ“1978年春に発売された「SR500」は、4ストローク・エンデューロモデル。XT500のノウハウをオンロードに応召したモデル。軽量・スリム・コンパクトな車体、時代を経ても変わらないスタイリング、ビッグシングルならではの強大なトルクとダイナミックな加速感が特徴。強大車のSR400とともに、他社の追随を許さない独自の世界を構築した。” ◎引用:ヤマハコミュニケーションプラザ表示 The SR500 was a model that brought the know-how of the 4-stroke enduro model XT500 to an on-road sport model. Its lightweight, slim...

57年式、FIAT アバルト 750GT ザガート(Italy/FIAT)

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=v3dJbSmNF6I?rel=0] ◎撮影場所 FIATお台場“アバルトの開祖カルロ・アバルトは、イタリアの国民車とも言うべき小型大衆車、フィアット600をベースに、数多くのレーシングベルリネッタを製作しました。中でもこのザガート製750GTは、アバルト製ベルリネッタの中でも最初に成功を収めたモデルとして、現在においても「ダブルバブル」のニックネームとともに愛されています。 1955年に登場したフィアット600のために、まずアバルトは「750デリヴァツィオーネ」エンジンキットを開発。同じ年の年末に発売しました。このキットでは、スタンダード600に備えられた簡素な鋳鉄製クランクシャフトに代えて、輝くほどに美しい鍛造製シャフトを採用。そしてその新しいシャフトによって、ストロークは排気量を633ccから747ccに拡大されます。 またヘッド周りにも念入りなチューンを受けた上に、ダウンドラフトのウェーバー・キャブレターは大径化。「ABARTH」ロゴが浮き出されたアルミ製専用インテークマニフォールドに装着されました。これらのチューニングにより、4気筒OHVエンジン標準型600の21.5psと比べるとほぼ2倍に相当する41.5~47psまで増強されたのです。 そしてアバルトは、フィアット600用フロアパンを使用したプラットフォームと、アバルト製750デリヴァツィオーネ・ユニットを、当時のイタリアには数多く存在したカロッツェリアに供給することにします。そしてこのオファーに応えるかたちで、’56年のジュネーヴ・ショーに出品されたのが、のちに「フィアット・アバルト750GT」の主力となったカロッツェリア・ザガート製ベルリネッタの最初期モデルでした。 ちなみにこのショーでは、鬼才フランコ・スカリオーネがデザインしたベルトーネ製の空力的なベルリネッタ。カロッツェリア・ヴィオッティ製の瀟洒なクーペ。カロッツェリア・ギアがフィアット600ボディの750デリヴァツィオーネを豪華にドレスアップしたモデルも同時に展示されましたが、ザガート製ベルリネッタは4台の中で最も大きな反響を得たことから、シリーズ生産化が決定するに至ったと言われています。 こうして少量生産がスタートした750GTザガートですが、空力を追求するあまり徹底して低いデザインとされたルーフは、ヘッドルームが不足してしまうとの評価を受けたことから、この年秋のトリノ・ショー以後に製作されたシリーズ2では、ルーフの左右に大きな「こぶ」を追加。のちにザガートのアイデンティティとなる「ダブルバブル」が誕生することになりました。 そして、それからわずか数か月後の1957年初頭には、ノーズをいっそう洗練したデザインとし、リアエンドもスタイリッシュなテールフィン状にソフィスティケートした完成形、いわゆる「シリーズ3」へと進化。1957年のミッレ・ミリアで小排気量GTクラス優勝を獲得するなどの大活躍を見せることになったのです。” ◎引用:WAKUI MUSEUM OFFICIAL WEB

冬が来る前に(唄:紙ふうせん)1977年

“紙ふうせん”のヒット曲『冬が来る前に』、出だしのフレーズの意外性がすごく心にひっかかる曲でした。 ついこの前のように感じますが、もう40年経つんですね! [youtube https://www.youtube.com/watch?v=jWEPaCjbZG4] 出典:youtube 尚美degu1996 様◎作詞:後藤悦治郎 ◎作曲:浦野直

81年式、ホンダ プレリュード

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=kK7rwhTDfG4?rel=0&controls=0&showinfo=0]◎撮影場所 ホンダコレクションホール“78年に発売し、スポーティな走行性とスタイリングで好評のスペシャリティーカー「ホンダプレリュード」のタイプ追加モデル。数々のエレクトロニクス機構を搭載し、内外装を充実させ、燃料経済性、運転性能を一段と向上させた。” ◎引用:ホンダコレクションホール表示 HONDA PRELUDE Released in 1978,this addition to the Honda Prelude series was a well-received specialty car, with its sporty running and handsome styling. The...

松鶴家千とせ

「わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ〜。。」 とてつもなく流行りましたね〜^^ “本来はジャズ歌手志望だったこともあって、ジャジーなスキャットに、民謡や童謡などを融合させた独特の和風メルヘンの世界を築き、「わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ〜」のフレーズで、大人気になった。1974年頃「ヘェヘェヘェ〜イ!、シャバダバダディ〜!、イェーイ!。俺が昔、夕焼けだった頃、弟は小焼けで、父さんは胸やけで、母さんは霜やけだった。」と、哀愁を込めて歌いかける『夕焼け小焼け』の替え歌の漫談で注目を浴びた。” ◎引用:wikipedia (88年ですから、随分後の服部セイコーのCM) [youtube https://www.youtube.com/watch?v=1EHKyWvFIAo]出典;youtube

68年式、スズキ T500

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=5B3kkDrDMGg]◎撮影場所 スズキ歴史館“当時量産車世界初となる2サイクル・ツイン500ccエンジンを搭載。最高速度181km/h、0〜400m発進加速は13.2秒という、多くのファンを魅了する高い性能を持っていました。1970年ん代を席巻する一連のGTシリーズの前進といえるモデルで、「2サイクル=スズキ」を確固たるものとした名車です。” ◎引用:スズキ歴史館

55年式、メルセデスベンツ 300SLクーペ(Germany/Mercedes)

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=BLhxHeeQ-ks] ◎撮影場所 トヨタ博物館“レーシングカーを市販車化した車で、鋼管スペースフレーム構造とガルウィングドアを特徴とする。燃料噴射の初採用車でもある。SLとは軽量スポーツカーを意味するドイツ語に由来。” ◎引用:トヨタ博物館

68年式、トヨタ 2000GT MF10型

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=Z63cPbzmr_w?rel=0] ◎撮影場所 トヨタ博物館 “オイルショックや排出ガス規制などに縛られなかった’60年代には、世界的な傾向のなかで魅力的なスポーツカーが多く誕生する。わが国においてもかつてない高性能なグランツーリスモ、トヨタ2000GT(1965年)を登場させることになった。ロングノーズの均整がとれたスタイリングやバックボーンフレーム構造、6気筒ツインカムなどデザイナーやエンジニアが思う存分に腕をふるった結果は、谷田部のテストで3つの世界記録と13の国際新記録を樹立。世界水準の高性能車をつくり上げたのである。” ◎引用:トヨタ博物館表示

60年式、日産 セドリック 30型

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=DiMqF1tBa-4?rel=0] ◎撮影場所 トヨタ博物館“オースチンの優れた技術を完全に吸収し、エンジン、シャーシー、ボディ等すべてが新しく設計された。縦4灯のヘッドランプが特徴的。車名は小説、「小公子」の主人公から。” ◎引用:トヨタ博物館表示

53年式、トヨペット スーパー RHN型

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=IKpNQvwJ0FM]◎撮影場所 トヨタ博物館“1953年、それまで1000ccであった小型車規格が1500ccまでに引き上げられたのに合わせて発表されたのがトヨペットスーパーである。1000ccのS型エンジンから20HPもパワーアップが図られ、性能は格段に向上し、おもにタクシーとして活用された。ボディスタイルは新三菱重工でつくられたこのRHN型のほかに関東自動車工業製のRHK型も存在。トヨタの主力モデルとなったのである。” ◎引用:トヨタ博物館表示

映画 卒業(日本公開1968年)

この映画で、ダスティン・ホフマンと、サイモンとガーファンクルを肌で感じ、そこからサイモンとガーファンクルのサウンドにのめり込んでいったなあ^^[youtube https://www.youtube.com/watch?v=4tw2bAJV5Fo]出典:youtube(ストーリー) “大学陸上部のスターで新聞部長でもあったベンジャミンは、卒業を機に帰郷する。友人親戚一同が集った卒業記念パーティー、将来を嘱望される若者に人々は陽気に話しかける。だがベンジャミンは素直に喜べない何かを感じる。そのパーティーで、父親の職業上のパートナーであるミスター・ロビンソンの妻であり、幼なじみエレーンの母であるミセス・ロビンソンと再会する。卒業記念のプレゼント、赤いアルファロメオ スパイダー・デュエットでミセス・ロビンソンを送ったベンジャミンは、彼女から思わぬ誘惑を受ける。 一度は拒んだベンジャミンだったが、目標を失った彼に示された道は他になかった。コロンビア大学大学院への進学を前にしたうつろな夏休みが始まる。夜ごとの逢瀬。それでもぬぐい去れない虚無感。彼の憂鬱は晴れない。心配した両親は同時期に帰郷した幼なじみのエレーンをデートに誘えという。一度きりのデートでわざと嫌われるようにし向けるはずが、ベンジャミンはエレーンの一途さに打たれ、二度目のデートを約束してしまう。 二度目のデートの当日、約束の場所に来たのはミセス・ロビンソンだった。ミセス・ロビンソンはベンジャミンにエレーンと別れるように迫り、別れないならあなたと交わした情事をエレーンに暴露すると脅す。焦燥したベンジャミンはエレーンに自ら以前話した不倫の相手は、他ならぬあなたの母親だと告白する。ショックを受けたエレーンは、詳しい話も聞かずに、ベンジャミンを追い出す。 エレーンを忘れられないベンジャミンは、彼女の住む街にアパートを借り、大学に押しかけ、エレーンを追いかける。揺れるエレーンの心。結婚しようという彼の言葉を受け入れかけたある日、しかし、彼女は退学していた。他の男と結婚するのだという。 どうにか彼女の結婚が執り行われている教会まで駆けつけたベンジャミンは、エレーンと新郎が今まさに誓いの口づけをした場面で叫ぶ。「エレーン、エレーン!」。ベンジャミンへの愛に気づくエレーンはそれに答える。「ベーンッ!」。 ベンジャミンを阻止しようとするミスター・ロビンソン。悪態をつくミセス・ロビンソン。二人は手に手を取って教会を飛び出す。 バスの後部座席に腰掛けた二人は、エレーンの花嫁姿という格好に周囲の視線を受けながら、どこかへと旅立っていく。” ◎引用:wikipedia

65年発売、フジ医療器、A-1マッサージ機

これ、銭湯や旅館、なぜかゲームセンターなんかにもおいてました。 10円玉入れて、大人になった気分でやるけれど、幼い時はただ痛いだけだった。 それでもスポーツで体の凝りを感じるようになってからは、ずっとずっとお金の続く限りやってみたかった^^ 写真のモデルはフジ医療器さんが、1965年に発売したA-1マッサージ機。 株式会社フジ医療器

70年式、スズキ ハスラー90(TS90)

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=jZhQL4y1M0I] ◎撮影場所 スズキ歴史館“初代ハスラー90。スズキ初の90ccクラス本格オフロードモデル。鋼管クレードルフレームに47×51.8mmシリンダエンジンを搭載。フロントサスペンションはテレスピックフォーク、リアには鋼管スイングアーム+2本ショック。レース出場を考慮して多彩なキットパーツを設定していました。” ◎引用:スズキ歴史館

64年式,三菱ミニカ LA20

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=UtLp-8lXNi0?rel=0] ◎撮影場所 三菱オートギャラリー“1962年に発売された三菱初の軽乗用車。1961年に発売し大ヒット作となった軽ライトバン三菱360(LT20型)をベースに製作されたフロントエンジン/リヤドライブ車。車体前部は三菱360と同一タイプをとりながら、より乗用車的にまとまったデザインに工夫されている。車体後部は思いきったクリフ・カットを採用、4人がゆったり座れる室内空間だけではなく、軽乗用車最大のトランクスペースを実現した。発売間もなく月平均販売台数800台を記録する人気を博した。” ◎引用:三菱オートギャラリー表示 後方はこれ! 出典:三菱オートギャラリー

66年式.アルファロメオ 1600スパイダー・デュエット(Italy/Alfa Romeo)

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=O-d8t0QhrEs] ◎撮影場所 東京MEGAWEBヒストリーガレージ“ビニンファリーナがデザイン、生産を担当する1600Spiderは、Giulia系のコンポーネンツを使用した2シータースポーツ。個性的なイカの骨スタイルのテールや凸面状としたサイドの意匠などは、Alfaの歴代オープントップ・Spiderを代表する存在たらしめている。デュエットからスタートしたSpiderは、延べ26年間も生産された。また、マイク・ニコルズ監督/ダンスティン・ホフマン主演の映画『卒業』に出演したことから、アメリカを含む世界中にその名を知られることになった。” ◎引用:東京MEGAWEBヒストリーガレージ表示。

71年式、スズキ GT750

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=pNMRCObh86I]◎撮影場所 スズキ歴史館 “スズキ初の「ナナハン」で国産量販車初の水冷・2サイクル・3気筒エンジンを搭載。車体構造やブレーキにはGPレースで得た技術を投入。このパワフルなスペックにもかかわらず、静かでスムーズなエンジン特性を持ち、アメリカでは「ウォーターバッファロー」の名で愛されました。” ◎引用:スズキ歴史館表示

火の鳥【漫画】(1954年〜)

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=KBOIldbfdQ0] 上の動画の本は76年の『マンガ少年』の別冊のようです。   (概要) “手塚治虫が漫画家として活動を始めた初期の頃から晩年まで手がけられており、手塚治虫がライフワークと位置付けた漫画作品。古代からはるか未来まで、地球や宇宙を舞台に、生命の本質・人間の業が、手塚治虫自身の独特な思想を根底に壮大なスケールで描かれる。物語は「火の鳥」と呼ばれる鳥が登場し火の鳥の血を飲めば永遠の命を得られるという設定の元、主人公たちはその火の鳥と関わりながら悩み、苦しみ、闘い、残酷な運命に翻弄され続ける。 雑誌「COM」以降の連載作品では過去・未来・過去・未来と交互に描き、手塚本人が死亡した瞬間に作品が完結するという構想で描かれていた。 この作品に多くの漫画家が影響を受け、数多くの映像化・アニメ化・ラジオドラマ化が行われた。” ◎引用:wikipedia 火の鳥 (漫画) - Wikipedia

プロマイド

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=0JWuWdfjnOg?rel=0] いろんなスター達のプロマイドありましたねー^^(ブロマイド?プロマイド?) “マルベル堂では原紙を「ブロマイド (Buromaido)」、写真にした製品を「プロマイド (Puromaido)」と呼称している。 マルベル堂の斉藤午之助は、「たしかに、印画紙のあのサイズをブロマイド版とはいうが、ブロマイドはあくまで“加工品”。ブロマイド印画紙から生まれた“プロマイド”(Puromado) と呼んでほしいものだ」と語っている。 広辞苑やNHKの放送用語などには、俳優等の肖像写真を指す語について、ブロマイドと修正されて収録されている。このため、映画やテレビタレントのスター写真を指す語として「プロマイド」と「ブロマイド」の双方が用いられるようになった。” ◎引用:wikipedia