70年式、ローレル H/T 2000GX KPC30
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=ekNlJdJetbg?rel=0]
◎撮影場所 日産ヘリテージコレクション “ローレルは、1968年(昭和43年)4月に初代となるC30型が発売されました。ブルーバード(510型)よりも上級で、また法人需要が多かったセドリック(130型)とも雰囲気の異なるモデルで、中型車の世界に「ハイオーナーカー」という新たなジャンルを開拓した記念すべきモデルです。エンジンは、1800cc直列4気筒OHCのG18型が搭載され、サスペンションは、ストラットとセミトレーリングアームの四輪独立懸架式が採用されました。1970年(昭和45年)6月には、2000ccのG20エンジンとスタイリッシュな2ドアハードトップシリーズを追加。日産として初のピラーレスハードトップモデルでした。このクルマは、ハードトップシリーズの最上位に位置するスポーティグレード2000GXです。ツインキャブ仕様クロスフロー燃焼室を持つ、125馬力を誇る2000cc直列4気筒OHCのG20型エンジンを搭載しています。また、当時流行のレザートップ仕様で、ルーフパネルにビニールレザーを貼って幌のような風合い感を出したクルマです。 ”
◎引用:日産ヘリテージコレクション表示
ソノシート
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=N66G7jvP9Io?rel=0]
出典:永木 武様いやあ、ソノシート懐かしいですね!
この素材は、永木 武様からご提供頂きました。感謝いたします。
ソノシート、扱いが簡単だったので、子供には良い音源でした^^
それから、『ソノシート』という呼び名は、wikipediaによるとこうらしい。
“「ソノシート」は元々は朝日ソノラマの商標だったため、「フォノシート」や「シートレコード」と言い換えられる場合がある。そのため、普及期には発売するメーカーによって商品名が異なっていたが、現在ではソノシートという呼び名が一般的になっている。 ”
出典:wikipedia
60年式、トヨペット コロナ PT20型
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=cMXNnqk3jRY?rel=0]
◎撮影場所 トヨタ博物館 “急増する小型車市場で苦戦を強いられたコロナPT10型の陰で着々と開発が進められたPT20型(ニューコロナ)は、オーナーカーとしての自信作であった。カンチレバーの後輪懸架がもたらす乗り心地のよさや、ティーザーキャンペーンをわが国で初めて展開するなど話題を呼んだ。 ”
◎引用:トヨタ博物館表示
あの頃のお笑い芸人さん達(1970年)
https://dailymotion.com/video/x5766fv
わお!ほぼ半世紀前の、あのころの『お笑い芸人』さん達。懐かしい。
1970年のテレビ放送『演芸スペシャル』。
登場は、三遊亭円歌、てんやわんや、かしまし娘、立川談志、月の家円鏡、牧伸二、Wけんじ、唄子・啓介、東京ぼん太、ナンセンストリオ、ドンキーカルテット、三遊亭円楽、林家三平、トリオスカイライン、コロンビアトップ・ライト
なつかしいなあ^^
83年式、日産 ガゼール クーペ ターボRS-X
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=hhMwKe_UHYY?rel=0]
◎撮影場所 日産ヘリテージコレクション “シルビアの兄弟車としてリリースされたガゼールは、1979年(昭和54年)3月に初代(S110型)がデビュー。1983年(昭和58年)に登場した2代目(S12型)は、 クーペとハッチバックモデルを用意し、直線を基調としたボクシーなデザインで若者の心をつかみました。 搭載エンジンは、直列4気筒1800ccのNAエンジン(CA18S型、CA18E型)のほかに、1800ccターボ(CA18E・T型)、2000ccDOHCターボ(FJ20E・T型)など4機種が用意されていました。基本構造はシルビア同様で、外観上ではフロントグリル、 リヤコンビランプのデザインが差別化されています。世界初となるパワーウーファー、日本初となるチルトアップ機構付電動ガラスサンルーフ、キーレスエントリーも用意するなど、豪華装備を持ったグランドツーリングカー的、スペシャリティカーでした。このクルマは、2000ccDOHCターボエンジンを搭載した最上級車ターボRS-Xグレードです。”
◎引用:日産ヘリテージコレクション表示
ロイ・ジェームス
ロイジェームスさん、子供目線で好きだったなあ。
外人なのに日本語堪能、歯に衣着せぬ語り口、心地よい声。
怪鳥人間バットマンのナレーションや、特にラジオの『ロイ・ジェームスのミスタースポーツ』がお気に入りで、毎日欠かさず聴いてました。ラジオにテレビにモテモテでしたね!それにしても、若くして召されたんだなあ。。ロイ・ジェームス
“大学在学中の1953年にタレントのE・H・エリックの紹介で、日劇ミュージックホールの舞台で芸能界入り。エリック(実際は日本人とデンマーク人とのハーフ)とともに日本の「外国人タレント」(外タレ)の草分けとなった。その後は、1955年に成瀬巳喜男監督の『浮雲』に米兵役で出演したのを皮切りに、映画俳優や放送タレントとして活躍、実際にロシア語を話せなかったので、べらんめえ調の達者な日本語を軽妙にこなし、数々のテレビやラジオなどで歯に衣着せぬ辛口トークを展開した。また、CMでも大いに活躍した。”
◎出典:wikipedia
1982年12月29日(満53歳没)。ロイ・ジェームスさん登場のミゼットのCM
https://dailymotion.com/video/x571yuw
なつかしき声①
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=6RBMmOH0g_0]
出典:youtubeなつかしき声②
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=iIB2GJx9Gk4]
出典:youtubeなつかしき声③
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=n2HhWWisc2k]
出典:youtube
明治マーブルチョコレートCMお正月編(1962年)
https://dailymotion.com/video/x56zohp
マーブルチョコレートのお正月バージョンCM。
このころからもうお正月CMやってたんですね!
とってもキュートな上原ゆかりちゃんです^^
65年式、スズキ T20
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=v0-c7vvn0mc?rel=0]
◎撮影場所 スズキ歴史館 “世界一速いクォーター(=250CC車)を目標に開発されたスーパースポーツ。世界GPレースを制したファクトリー・マシンの最新技術、アルミ製2気筒、二輪車で初めて「CISS」(潤滑油分離供給)方式、市販車初の6段ギヤ、などの特徴を持つスズキの世界戦略車の元祖といえる一台です。”
◎引用:スズキ歴史舘
62年式、フィアット 500D(Italy/FIAT)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=FU2nhGGX1KA?rel=0]
◎撮影場所 東京MEGAWEBヒストリーガレージ “イギリスのミニよりさらに7.6センチ短いボディに、大人4人が乗るスペースを確保したクルマ。しかもミニよりデビューは2年も早い。イタリアでは他の 500ccのクルマと区別するため、ヌオーヴァ・チンクエチェント(新しい500)という名前が付けられ、爆発的な人気を博した。1957年から18年間でおよそ300万台が生産された。”
◎引用:東京MEGAWEBヒストリーガレージ表示
映画 蒲田行進曲(1982年)
この映画の思い出は、何と言っても松坂慶子さんの美しさ、当時の役者の美学、命がけの階段落ち、そして古き良き時代を連想させるテーマ曲かなあ。wikipedia見ると、このテーマ曲は、オペレッタ、「放浪者の歌」に歌詞を付けた、昭和4年の流行歌(1929年松竹映画『親父とその子』の主題歌)で、松竹キネマ蒲田撮影所の所歌となったものを、松坂慶子・風間杜夫・平田満の3人にでカバーしたものらしい。なんだかうきうきしてくる曲ですね!^^[youtube https://www.youtube.com/watch?v=b_71SNnBtAc]出典:youtube ShochikuOnDemand 様“『新選組』の撮影真っ只中、土方歳三に扮する"銀ちゃん"こと倉岡銀四郎は、敵役の坂本龍馬を演じる橘が、主役の自分より目立っているのが気に入らない。さらに最大の見せ場である"池田屋の階段落ち"が、命の危険を伴うため中止になろうとしていた。ある日、大部屋役者のヤスのアパートに、銀ちゃんが子供を身ごもった女優、小夏を連れてきた。「俺を助けると思って、小夏と一緒になってくれ!」ヤスはいわれるままにする。そんな中、銀ちゃんが失踪した。ヤスは落胆しきった銀ちゃんを見兼ね、"階段落ち"を引き受けるのだった。”
◎引用:松竹オンデマンド表示