カメラのフラッシュ

昭和・フラッシュ・ストロボ

11641

カメラって云えば、今はデジタルで、それもスマホで、プロ顔負けの写真を簡単に撮れる時代になったけど、
70年代頃までは、技術がないとなかなか良い写真は撮れませんでしたね!
学校の集合写真の撮影の写真屋さんの機材ときたら、やたら大掛かりだったなあ^^

そして、今回のフラッシュです。
オートなストロボの出現で、連続で閃光させることが可能な時代となり、
少しづつ姿を消していったのが、80年代頃からでしょうか?

(フラッシュの沿革)
“1929年、ドイツのハウフ(Hauff )より世界初の閃光電球が発売された。閃光粉は撮影者のシャッター操作を見計らって手動発光を行う助手が必要であったが、閃光電球は閃光粉と違い電気で発光させるため助手が不要になり、また光量をシャッターに合わせて効率的に使えるようになった。
これに米ゼネラル・エレクトリック(1930年)、日本の東京電気(現東芝、1931年)、蘭フィリップス(1934年)と続き、特に報道関係で重用されるようになった。
戦後は小型低価格の規格が次々と現れ、アマチュア間にもフラッシュ撮影が普及した。後述のBC式発光器は小型軽量で、これを組み込んだカメラも現れた。1960年代からはストロボ(エレクトロニックフラッシュ)も普及してきたが、黎明期のエレクトロニックフラッシュは光量が小さくまたカラー撮影時の色再現が悪かったため、大光量を必要とする際やカラー撮影には閃光電球が多用された。ストロボは発光の持続がミリ秒より短いため、高速シャッターではスリット状になるフォーカルプレーンシャッターで日中シンクロ撮影を行う場合に対応できず、燃焼時間の長い(FP級)閃光電球が必要だった。
しかし大光量のストロボが製品化されるに従い、初期投資は低くても経費のかかる閃光電球撮影は1980年代中頃から廃れていった。さらに、発光が数十ミリセコンド持続するストロボが出現し、FP級閃光電球の必要性もなくなった。”
◎引用:wikipedia

関連記事

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でフォローしよう!