象が踏んでも壊れない筆箱(1967年)
これ、流行ったなあ、、
TVコマーシャルもやってたし、みんな持ってたから、
親にわがまま言って買ってもらったこと覚えてます^^
上から乗って、本当に壊れないのか、恐る恐る上に乗ったこともあった^^
レコードプレーヤーとソノシート
レコードプレーヤーとソノシート。
プレーヤーは、
軽量で、まだステレオが各家庭に普及してなかったころ、
いろんなところで活躍してましたね!
ソノシートは、
いろんな雑誌の付録でついてましたよね!
軽いし、カラフルで、、、
それから、
レコードの扱いほど、
大人からやかましく言われなかったので、
子供には良い音源でした^^
ロケット型の火薬入れて投げるやつ
このロケット型の先端の棒を引きながら
この火薬を切れ目に沿って四角に切り取って挟み込み
空めがけてぽーい!
地面に落下したら パーン!!
ただこれだけの遊び。
近所の駄菓子屋でよおく火薬を買って遊んでたなあ〜、あれから半世紀越え^^
55年式、トヨペット クラウン RS型
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=MPngvYQJtJA?rel=0]
◎撮影場所 トヨタ博物館 “海外と技術提携が盛んに行なわれるなかで、トヨタは純国産方式を押し通し、1955年トヨペットクラウンRS型を発表。当初から自家用車として設計されたRS型は、あらゆる意味において国産車のモータリゼーションの出発点であった。そしてわが国の自動車業界へも大きな自信を与えたのである。デザインは当時のわが国の実状に適応した巧みなもので、乗り心地や耐久性など、すべてがバランスされた純国産車として話題を集めた。”
◎トヨタ博物館表示
おれは男だ!・森田健作(1971年1月〜)
森田健作さん、青春ものの象徴もみたいな感じでしたね!熱かった!硬派の森田健作さん、とても魅力的でした。
日曜日の夜の番組だったので、欠かすことなく全てを見ましたねー^^
第1話(ウーマン・パワーをやっつけろ!)−1
https://dailymotion.com/video/xdnif3
第1話(ウーマン・パワーをやっつけろ!)−2
https://dailymotion.com/video/xdnm6o
ストーリー
“主人公小林弘二は、兄が教師をつとめる青葉高校に転校して来る。同校は名門女子高としての歴史が長く、共学になって数年しか経過していないため、男子生徒の人数も少なく、女子生徒が主導権を握っているような状態であった。弘二が入ったクラスには、女子生徒のリーダー的存在でありアメリカ生活の経験もある成績優秀な吉川操がいた。また、操が住んでいるアパートは弘二の自宅の隣であり、弘二と操の部屋はごく近くにあり、窓越しに会話をすることができた。弘二は学校での「ウーマンリブ」打倒のために男子生徒を集め、剣道部を結成する。操がいるバトン部と対立しながらも徐々にお互いを理解し合える関係を築いていく。”
◎引用:wikipedia
タイムトンネル・NHK(1967年4月〜)
面白くてどんどん引き込まれて見てましたね!過去と未来へタイムスリップするという感覚が、なんとも言えない不思議な感覚と感情があったことを覚えています!あ、それから様々な時代、いろんな国へのタイムスリップがエキサイティングでしたねー。(これは後の解説番組)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=DO2egaTj7iE]
出典:youtube(概要)
“タイムトンネルは、アリゾナ砂漠の地下に設けられた科学センターに作られた設備で、過去や未来に人間を送ることが出来る、時間旅行が可能な装置である。しかし、この作品では、最初にトンネルそのものが未完成でまだ完全な機能を有していない状態で、1人の若い科学者がトンネルに入り、追いかけてもう1人の科学者が入って、結局この2人が現在に戻れず過去と未来を彷徨う放浪者になるという設定で、毎回歴史の舞台に立ち会ってドラマが展開される。なおタイムトンネルの行き先は国や時代を問わず、古代ギリシャやローマ帝国、東欧やインドがあり、そして日本人も出てくるが、製作当時のアメリカではテレビは英語版のみの撮影(戦争映画でも英語で話すヒトラーやドイツ軍将校が出てくる)が多いため、台詞は全て英語だけであり、ダグとトニーたちも英語圏以外の旅先の登場人物と出会って初めて会話するときも違和感なく英語で会話している。”
◎引用:wikipedia
あしたのジョー(1970年4月〜)
あああ、もう、これ、
夢中でテレビにかじりついて見ました。
矢吹ジョー役のあおい輝彦さんの声もなんかいい感じでしたよね!
思い起こすと、いろんな場面が断片的に蘇ります。心が熱くなりますね!
丹下段平の「ジョー」って雄叫びが、今でも耳に残ってますね〜^^
https://dailymotion.com/video/x874nu
投稿者 Hongosan
https://dailymotion.com/video/x5jzzk0
あしたのジョー 第02話 投稿者 YsamoRobert5843
https://dailymotion.com/video/x10u6sx
あしたのジョー 第03話 投稿者 Hongosan
https://dailymotion.com/video/x5jzzcn
あしたのジョー 第04話 投稿者 RaymondQuind7271
科学忍者隊ガッチャマン(1972年10月〜)
比較的新しいと思ったら、それでもスタート1972年でした。
まあ、とにかくカッコよかった。OP、EDともに歌もよかったです。
ガッチャマンって響きも好きでした^^第1話 ガッチャマン対タートル・キング
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=cN1jfOJXueg]
出典:youtube TatsunokoChannel“国際科学技術庁(ISO)のウラン貯蔵庫が、亀の姿をした巨大な怪獣型ロボ(鉄獣メカ「タートルキング」)に襲撃されウランを強奪される事件が発生した。地球征服を狙う謎の秘密結社「ギャラクター」による犯行だ。ISO「マントル計画」主任である南部博士は、この危機に対して対ギャラクター用に密かに結成していた特殊部隊「科学忍者隊」を出動させる。忍者隊の活躍で「タートルキング」は破壊され、ギャラクターの目論見は潰えたかに思えたが、それは科学忍者隊とギャラクターとの長きにわたる戦いの序幕に過ぎなかった。科学忍者隊は次々と新手を繰り出すギャラクターのテロ攻撃に、時には生身で、時には大型戦闘機「ゴッドフェニックス」で立ち向かって行く。”
◎引用:wikipedia
ケペル先生の「ものしり博士」(1961年4月〜)
夕方になると始まるこのNHK番組を
なんとなーく見てました。
なんとなーくですが、
50年以上の時が経ても、
この歌は覚えてて、
ケペル先生、こんにちは!♪
のとこ、大好きでした^^(主題歌)〈この画像、メガネが無い!初期のもののようですね〉
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=pqUBu_8uvH8]
出典:youtube◎NHKアーカイブスに番組がありました^^
画像クリックしてみてください!!(内容)
“毎回1つのテーマを、絵や模型や人形などを用いたり、寸劇やコント、或いはそれらに歌を入れた簡単なミュージカル仕立てにするなど、多様な手法を使って解説した。”
◎引用:wikipedia
妖怪人間ベム(1968年10月〜)
妖怪人間ベム、
うん、このアニメも人気でしたね!ベム、ベラ、ベロ、妖怪人間♪
今でも耳にしっかり残ってますね!3本指で、「早く人間になりたーい」って遊んでました^^
https://dailymotion.com/video/x5isz6f
出典:dailymotionこの動画は、
1968年10月28日に放送された
『せむし男の人魂』です!“いつどこで誰が生み出したのか誰も知らない、人でも怪物でもない異形の生物…それが「ベム」「ベラ」「ベロ」の「妖怪人間」である。時には人々に迫害され、また時には友情を育みながら、いつか人間になれる日を夢見て彼らは世に仇なす悪と戦い続けるのだった。3人の合言葉は「早く人間になりたい!」”
◎引用:wikipedia
55年式、フライングフェザー
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=h3T8nSRLfDo?rel=0&controls=0&showinfo=0]
◎撮影場所 トヨタ博物館 “その名のとおりの超軽量車で「最も経済的なクルマを」という設計者、富谷龍一氏の思想を具体化して住江製作所が1954年に発表。きわめて合理的なスタイリングや必要最少限のメカニズムを持ち、機能的なトランスポーターとして、野心作ではあったが、残念ながら1955年に200台足らずつくられたのみに終わった。おそらく、徹底した合理主義が、当時の人々にはまだ理解されなかったのであろう。”
◎引用:トヨタ博物館
サザエさん(江利チエミ:1965年11月〜)
もう底抜けに楽しい番組でしたね!
もうこの番組が楽しみでなりませんでした。
1965年11月〜67年9月までの放送だったようです。
(オープニング・音のみ)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=Sb8HVEImqac]
出典:youtubeこんな記録がありました!
“1965年~1967年にTBS系列で放映されたドラマ。1966年1月7日放送で瞬間最高視聴率37.1%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)を記録。
脚本 :才賀明、宮下達男
演出 :鴨下信一、宇治正敏
局系列 :JNN
制作会社 :TBS
主題歌 :江利チエミ「サザエさん」(作詞:宮田達男、作曲・編曲:神津善行)
サザエ:江利チエミ
マスオ:川崎敬三
波平:森川信
フネ:清川虹子
カツオ:吉原誠利
ワカメ:上原ゆかり ”
◎出典:wikipedia
いなかっぺ大将(1970年10月〜)
いやあ何から何まで、はちゃめちゃなアニメでしたね、楽しかった^^
大ちゃん、ニャンコ先生、はなちゃん、きくちゃん、西はじめ、、
うーん、思い出しながらにたにた笑ってしまいます。天童よしみさんの主題歌もよかったですねー^^キャット空中三回転だス
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=TcYMVgTEAhE]
出典:youtube学芸会はメタメタだス
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=0V5mZIuAzlY]
出典:youtube“青森から上京して来た少年、大ちゃんこと風大左衛門は一流の柔道家を目指し、ニャンコ先生と共に修業に励むつもりが、いつもずっこけてばかりの日々を続けている。”
◎引用:wikipedia
銭形平次(1966年〜)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=8zkecJsbF-w]
出典:youtube息の長い番組でしたね!888回放送のギネスだとか、、、銭形平次は映画も含めいろんな方が演じている様ですが、やはりテレビ番組大川橋蔵さんの銭形平次が。。1966年〜84年まで放映ということは、まさにこの番組とともに成長させていただきました^^銭形平次
“映画スターだった大川橋蔵が、18年にわたって主役を演じ、ギネスブックで「テレビの1時間番組世界最長出演」と認められた。橋蔵は番組が終了して間もない1984年12月7日に亡くなり、結果として銭形平次は橋蔵のライフワークとなった。橋蔵の棺には平次用の十手と投げ銭が入れられた。
脇役陣の活躍も魅力だった。とくに、平次をライバル視する岡っ引き「三ノ輪の万七」役で第53話に藤尾純から交代した遠藤太津朗(辰雄)はこれ以降、「憎めない敵役」として人気を博した。森田健作、市毛良枝、リリーズ、京本政樹らがレギュラー出演した時期もあった。
また豪華ゲストも数多く出演した。とくに最終話は美空ひばり、里見浩太朗、五木ひろし、舟木一夫、汀夏子がゲスト出演している。1958年、TBSで「テレビ版平次俳優第1号」となった若山富三郎や、本作終了後の1987年日本テレビで平次を演じた風間杜夫がゲスト出演した回もある。”
◎引用:wikipedia
サインはV(1969年10月〜)
大好きでした!まさしくスポ根ものでしたね!
岡田可愛さんも憧れましたが、范文雀さんの登場シーンが強く記憶に残っています。『稲妻落とし』『X攻撃』。興奮したなあ^^稲妻落とし・X攻撃
https://dailymotion.com/video/x5cq1w5
出典:dailymotion朝練習
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=4g5ReNT1EsM]
出典:youtube“1969年版は朝丘ユミが主人公。彼女は、バレーボールの練習中に姉を亡くしたため、天性の才能を持ちながらもバレーボールを憎み一度は離れようとしていたが、「立木大和」の牧圭介にスカウトされ、再びバレーボールと向き合おうと決意する。「立木大和」は立木製作所の新設バレーボール部だが、厳しい練習のために退部する選手が続出していた(第1話の段階では、選手はキャプテンの松原かおりしか残っていなかった)。”
◎引用:wikipedia
シャボン玉ホリデー(1961年6月〜)
61年スタートだけど、72年までの放送なので、しっかり覚えてる^^
ザ、ピーナツ、クレイジーキャッツ、青島幸男、、、
そして、オープニングのシャボン玉ルルルルルルル♪
まあ、幼い頃からいっぱい楽しませてもらいました^^[youtube https://www.youtube.com/watch?v=W6jck5XEuyE]
出典:youtube
ひょっこりひょうたん島(1964年4月〜)
いやあ、よく見ましたねえ〜!
サンデー先生、博士、ドンガバチョ、ダンディ、、、
登場人物他にも色々、、
あの頃の子供、みーんなテレビにかじりついてましたあ!リメイク版(カラー)
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=1a1fopo8zwI]
出典:youtube“子供たちとサンデー先生が遠足に行ったひょうたん島がひょうたん火山の噴火活動により海原へ流れ出してしまった。子供たちとサンデー先生が暮らすようになった島を訪れたへんてこな人や島の流れ着く奇妙奇天烈な所を巡って様々な事件が起きる。”
◎引用:wikipedia
55年式、フジキャビン 5A型
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=-e8N4DNQKOs]◎撮影場所 トヨタ博物館“フライングフェザーと同じ設計者(富谷龍一氏)により、富士自動車(当時、日産自動車系のエンジンメーカー)は当時としては画期的なFRPのフルモノコック構造の3輪キャビンスクーターを送り出した。空冷単気筒2サイクルエンジンを備えたボディは、わずか130kgで最高速度は時速60km。限られたスペースを生かした室内や空力的なボディデザインなど革命的な試みではあったが、FRPの製作技術がこれに伴わず、わずか85台製作されただけであった。”
◎引用:トヨタ博物館
The Fujicabin was designed by Ryuichi Tomiya, who also designed the Flying Feather. Manufactured by Nissan-affiliated engine maker Fuji Jidosha, the Fujicabin was...